光市母子殺人!
この事件には思い入れがどうしてもあり今回の結果が本当によかったのか疑問に思いながらもある意味総括を書き込まないといけないと思ってこの問題は死刑の是非を問う問題ではなく、当時18歳の少年が犯した犯罪が死刑に値するのかの裁判であるはずが死刑廃止論者の弁護士が係ることによってどうも弁護士は死刑廃止論の方向に持っていきたかったようで、またその稚拙な方法論は世間からのパッシングに合ってしまった。その結果が被告は「不合理な弁解を述べ、真摯(しんし)な反省の情はうかがえない」と指摘されるにいたった。これは被害者にも被告にも悲しい出来事ではないでしょうか今回の判決にたいする私個人の意見としては現状日本の法律では死刑か無期刑(実質は10~20年程)しかないのでこの事件は死刑に値する事件だと思います。10年20年では軽すぎる、でも本当は殺すべきではないのです。また個人的には死刑は廃止されるべきであり、反対派の弁護士は今の法律の中で死刑廃止だけを訴えるのではなく、終身刑などの極刑を整備して死刑廃止にすべき。今の状態では弁護士はお得意さん(再犯者)を作るマッチポンプのために「死刑廃止」をしているとしか我々にはうつらない。そこが社会的コンセンサスをとれない理由ではないでしょうかこの独りよがりさは日の丸着席裁判でも感じる反対することは「カッコイイ」のであって反対しない人間が頭が悪い・・うんぬん・・代案を出してくれれば考える頭はあります代案を出すという司法の責任を果たしているとは思わない。死刑廃止を唱えながら、多くの死刑囚を出しているのは実は死刑廃止論者の弁護士かもしれないある弁護士は自身のブログで仕事としてやっているので責められのはオカシイ・・仕事としてやっているから責められるのですボランティアならこれほど責められないまたこのような事件の報酬は税金から支払われるので国民は雇用者の立場として好き放題言いますそれが絶対的に正しいかは別として仕事という経済活動のなかでは普通にあることですそれと裁判で感じるのは家庭の事情などの意見は納得できない、同じ状況で育っていても一生懸命生きている人々、その人達も同じグループになるのか?育った環境を問題にするなら、こういう育ちのグループがありこのグループに入ればこんなことを行う可能性があると立証しようといているようなもの。同じような境遇で育ちながら真面目に生きている人々を冒涜いている。本当に死刑を廃止したいのか廃止論者の弁護士の生き方が問われそうです。