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June 4, 2006
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カテゴリ:ホラー映画
ホラーは快感だ!
 ホラー映画(または小説)で味わう恐さは、エンターテインメントである。恐怖場面に、ゾーっとおぞけだつ。その直後、ショックの反動、解放感から、瞬間的に血が全身をかけめぐるのを感じる。
 映画や小説の恐さは、ジェットコースターのような物理的、現実的なショックによるものとは違う。だから、お化け屋敷のように、突然脅かす映像は、上質のホラー映画とはいわない(でも、見ます)。「ほんとうにあった話」もいけない。幽霊や呪いが実際に目の前に現れたとしたら、恐いに決まっています。
 ホラーは、頭の中の世界である。作り手も、受け手も、想像力があってこそ、恐怖を味わうことができる。

鈴木光司「リング」の恐さ 
それまで、映画を見ても、小説を読んでも、割り合いと平気でした。ホラーの「恐い」系は得意かな、絶境マシンは苦手だけど、と思っていた。ところが、鈴木光司原作の「リング」を読んだときは、鮮烈でした。恐かったよ。
なぜ恐いのか。
 1. ビデオは何の意図もなく置いてある。
 2. 人は、ついついビデオを見てしまう。
 3. ビデオの中で、見た者は1週間以内に死ぬことが予告される。
 4. 見た者は必ず死んでいる。
 5. 死なずにすむ方法があるようだが、ビデオの一部分が消されていてわからない。
 6. ビデオには山村貞子の怨念が籠もっていた。
 7. 山村貞子は超能力者ゆえに虐げられ、井戸に放り投げられて殺された。
 8. 山村貞子は超能力者ゆえにとてつもなく強力な怨念を放っていて、防ぎようがない。
 四谷怪談や番町更屋敷などは、殺された相手憎さに、霊となって祟る話である。関係者でなければ安全だ。ところがリングは、何も悪いことをしていないのに、うっかりビデオを見ちゃったら、とんでもないことになるわけだ。
 「うっかり」はじつに人間的だ。例えば、翌日大事なテストを控えて、ちょっと休憩のつもりが朝まで寝ちゃって、学校に行って用紙を見たら全然分からないとか、キャバクラのお姉さんにメールを出したつもりが、弾みでアドレスをまちがえて女房のケータイに届いてしまったとか。日常には、ちょっとしたミスやエラーから、恐怖のどん底に突き落とされ、真っ青になることがままある。
 ほんのちょっと時間を巻き戻して、行動を変えられたらぁと思っても後の祭りだ。誰の身にもおこり得るうっかりミスが、いわんや自分の死に繋がってしまったら、悔やんでも悔やみきれないじゃないか!だからリングは、人間の根元的な恐怖感に深く関わっている。知らず知らずのうちに、こういった経験に共鳴させられるから、恐いですよ。

貞子は幽霊だから恐いわけじゃない
 貞子が、おどろおどろしく髪振り乱して登場するから恐いわけではない。映像作品では、貞子がテレビの画面から這い出てくる場面が評判を呼んだ。けれど、よく見てください。ほら、生きた人間(役者さん)が匍匐前進しているだけでしょ。
 貞子は、虐げられて殺された超能力者という設定で、スーパー怨念パワーの塊である。だから、受け手を迷わず恐怖の世界に引きずり込むのだ。
 

「ザ・リング2」はビデオの話ではありません
 「ザ・リング2」冒頭は、若いカップルのエピソードだ。男の方が彼女にビデオを見せようとしている。男はすでに呪いのビデオを見てしまっている。呪いを解くためには、誰かに見せなければならないので、焦っている。
 タイムリミットが数分後に迫っている。早く彼女にビデオを見せなければ、自分は死んでしまう。女はなかなかビデオを見ると言わない。だって、彼との甘いひとときを期待してきたのに、なんで恐いビデオなんか見なくちゃいけないの?
 時間切れ寸前に、ようやく話がついた。ビデオが始まった。しかし、なんたること、彼女は目を覆ってビデオを見ていなかった。男は、恐怖と苦痛に激しく顔を歪ませて息絶えてしまった。
来た、来た、来た、と思ったら、ビデオに関しては、ここまででおしまい。主人公レイチェルがカセットを焼いてしまいました。えーっ!リングって呪のビデオのお話でしょう。この先どうなるの。ほかのビデオが出てくるの?出てきません。

母と子の愛情物語
 呪のビデオの話じゃなくてもいい。恐がらせてくれればいいのだけれど・・・。
 アメリカ版貞子の名前はタマラ、レイチェルの息子エイダンに取り憑く。といっても、エクソシスト(1972)のように、悪魔に取り憑かれた少女が、大暴れするようなシーンはない。レイチェルは、息子を取り戻そうと、八方手を尽くす。そのうちに、タマラは母親の愛情が欲しくて、死後も彷徨っているとわかる。
 この筋立てはリングの原作者、鈴木光司の「仄暗い水の底から」に似ている。「ザ・リング」も「仄暗い水の底から」も、ともに母と子の愛情物語に霊がからんいる。 
 ビデオを通して人々に呪いをかけているうちに、タマラは、レイチェルとエイダンの母子に出会ってっしまった。タマラにしてみれば、母親レイチェルに愛されるエイダンが羨ましかったのだろう。エイダンになりかわって、レイチェルに甘えてみたい、と思ったに違いない。見ている方としては、怨霊であるタマラに、恐怖よりも、同情を感じてしまう。タマラがもっと強引に、なりふりかまわずレイチェルを奪いに来たならば、嫌悪感や恐怖を感じたかもしれない。

伽椰子の場合は・・・
 「呪怨」の伽椰子も、とっても恐い。伽椰子の恐さは、ストーカーの恐さだ。ストーカーは、そいつが普通の人間であっても、人の迷惑を顧みず、何考えているかわからなくて恐い。霊になって、超状的なパワーをもってしまえば、なおいっそう、この上なく恐い。
 タマラも、せっかく霊になって出て来たのだから、人の感情を無視して、母親を奪うという自分の目的のためだけに行動し、やめてくれ!と言いたくなるほどの攻めに徹してほしかった。
 レイチェルは、母1人で我が子を守るために孤軍奮闘する。タマラを追い出し、我が子を取り戻すために、タマラの生い立ちの秘密を探っていく。けれど、死までのタイムリミットがあるわけではないので、その行程には緊迫感が弱い。
 タマラに乗り移られたエイダンは、低体温が続く。このときに、低体温が何時間か続くと、命が危ないなどとすれば、盛り上がっただろうに。レイチェルは、問題を解決するために手続きを踏んでいく。残り時間がない。苛つくレイチェルを見て。観客も恐怖を共有できるだろう。
 さらに、ラストがあっけない。タマラには、それであきらめていいわけ!?霊としての邪悪さ、根性が足りんと説教したくなる。

 というわけで、穏やかな作品です。ホラーを見て、恐怖を疑似体験したい人には物足りないかな。ホラーに興味はあるけれど、最初から強烈なのはどうも、という人にはいいでしょう。
 個人的は、初心者の方にも、真正面から恐怖を受け止め、そこで味わう快感を体験していただきたいですが。きっと病みつきになりますよ。





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Last updated  June 4, 2006 08:07:45 AM
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