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July 2, 2006
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カテゴリ:ホラー映画
オゾマシ・ムービー
 おもしろいのだけれども、おぞましい映画がある。見ているときは、思わず引き込まれるが、残念ながら、二度三度と見たいとは思わない。
 「サランドラ(1977)」がどんなふうにおぞましいかというと、核実験の影響で異常化した男のファミリー(この設定、かなり際どい)が、人間の赤ん坊を見つけてさらっていき、食っちまおうとする。「赤ん坊は、やわらかくてジューシーだ」「精のつくものを食べたかった」などといって、悪びれた様子がまるでない(多少でも罪悪感があったら、赤ん坊を食べようとなんかしないって)。
 食人ファミリーと赤ん坊を救おうとする家族の行き詰まるバトルが展開されるのだが・・・。

スプラッターよりもなお・・・
 この映画は、いわゆるスプラッターではない。ドヴァーっと派手に血しぶきがとんだり、内臓がゲロゲロはみ出たりなどはしない。
 スプラッターは、蛮刀で手足や首をスッパ、スッパと切り飛ばしても、こけ脅しでわざとらしくて、そんなバカななんて具合に笑っちゃうことがある。単純に気持ち悪さで恐怖を盛り上げようとしているので、どんな手法を使ってくるか、妙に醒めた目で観察したくなってしまう。つまり、やりすぎれば、非現実的なあまり、マンガの世界に突入します。
 けれど、かわいい赤ちゃんをうまそうだ、食べたいと連れ去る話なんて、道義的に許されないじゃないですか。どう転んでも、おぞましさを拭いきれない。
 かのアルフレッド・ヒッチコック監督は、少年にそれとは知らず爆弾を持たせて、いつ爆発するのか、ハラハラドキドキの展開をつくったが、後で自己嫌悪に陥ったという(「サボタージュ(1936)」)。映画ができてみて、子どもの死でスリルを盛り上げるのは、邪道な手法だったとわかったのだ。(「定本 映画術―ヒッチコック・トリュフォー」より フランソワ・トリュフォー著 晶文社刊)
 そのように、子どもは、(まして赤ん坊)は聖域であるはずだ。金銭めあての誘拐ならまだしも、目的が食べるというのはなあ、やっぱり見ていて抵抗がある。

ホラー映画の系譜(なんてたいそうなものじゃない)
 ホラー映画の流れを眺めてみると、「ハロウィン(1978)」のブギーマン(マイケル・マイヤース)から「13日の金曜日(1980)」のジェイソン・ボーヒーズが派生した。あるいは「リング(1998)」は「着信アリ(2004)」に変型していった。同じように「サランドラ」は「悪魔のいけにえ(1974)」がに姿を変えたものだ。(遡れば、マイケル・マイヤースは「白夜の陰獣(1965)」の怪僧ラスプーチンに行き着く。「リング」は不幸の手紙を元ネタにしている。さらにマイケルージェイソンの系統には「エルム街の悪夢(1984)」のフレディ・クルーガーがいる。「サランドラ」と「エルム街の悪夢」は同じ監督の作品です)
 ルーツになった映画は、それぞれが目新しい恐怖の設定やキャラクターを生み出した。追随する作品がまねっこしたというと、なんだか制作者たちが大人気ない印象だ。一つの偉大なアイデアが、様々な映画になったと見るべきだろう。「悪魔のいけにえ」も、じつに衝撃的な映画だった。「サランドラ」がいただいたのは、アメリカの田舎で旅行者一行が残虐な異常者集団に襲われるところだ。状況設定は、砂漠の中でキャンピング・カーが故障し、旅行者の家族が孤立無援の状態になってしまうというもの。

アメリカ消費ファミリー
 しかし、この家族には、あまり感情移入ができなかった。給油所の爺さんに対して、娘は「私たち、ロサンゼルスに行くのよ」なんて自慢たらしく言うし、家族の頑固者の親父は、爺さんが「もう銀は出ない」と言っているのに、しつこく銀鉱の場所を聞いて(ロスに行くんじゃないのか?)、何が何でも銀鉱に辿り着くんだとキャンピング・カーを走らせ、あげくに車軸が折れてしまって、にっちもさっちもいかなくなる。
 純真な少女が悪者に襲われ、世をはかなんでいるけど少女を愛する青年が救いに向かうなんて展開なら、すっとその世界に入っていけるんだけれど、アメリカ消費社会にどっぷりつかったような脳天気家族が窮地に陥っても、自業自得じゃあ、と思ってしまう。
 ところが、異常者一家の襲撃を受け、理不尽な恐怖にさらされていくと、だんだんと気の毒になっていく。元警官の頑固親父が焼き殺され、母親が発狂の果てに刺殺され、姉も死に、その赤ん坊がさらわれるにいたって、ついに残った家族が、意を決して反撃に立ち上がる。誰も助けに来ない状況では、自分達が闘うしかない。逃げ回って、殺されていくだけの登場人物じゃないんだ。
 赤ん坊の父親(地道な努力を嫌い、いい思いだけをしたがるタイプ)が、崖っぷち、火事場のバカ力でエンジン全開する。まじめでカタブツの弟も、拳銃を撃ちまくる。妹も、ノリノリで、ガンガン相手を倒す仕掛けを出してくる(最初の襲撃で強いショックを受け、錯乱状態だったのに。立ち直りが速い!やらなければ、やられるもんね)

対する野蛮人ファミリー
 一方の異常者一家は、砂漠の岩山の穴ぐらに住んでいる。世帯主(住民登録はしてないだろう)である男は、米軍の核実験の影響で、異常にでかい体格と凶暴な性格に生まれついたという。人を殺して略奪を繰り返すことなど、なんとも思わない。その長男(成人です。キャンピング・カーに忍び込んで、冷蔵庫の中身を手づかみで貪り食う)が殺されると、異常な父親は怒り狂う。「俺の大切な家族になんてことしてくれるんだ」。意外に家族愛にあふれている。子どもに対しては、虐待などしないで、かわいがってきたのだろう。
 この家族、野蛮人なんだけど、高性能双眼鏡や無線機を使って(米軍核実験基地経由で手に入れた?)情報収集をし、戦略を立てることができる。生きるために、知恵を使っている。
 野蛮人ファミリー対消費者ファミリーの対決は、相手の無線機を奪ってそこから敵の動向をつかんで攻撃した消費者チームが、優勢に転じるが、地力に勝る野蛮人チームはなかなか手強い。勝敗の行方はいずこに。
 二組の家族が死闘を繰り広げる中、野蛮人ファミリーにも、人間性を備えたやさしい娘がいて、赤ちゃんを連れ出してくれた。一服の清涼剤だ。

食ッキング! 
 見ている方としては、二つの対照的な家族のバトル・アクションに気持ちが高揚したとしても、赤ん坊が盗まれて食われようとしていることで、興奮が冷まされてしまう。そこにストーリーが展開する上で緊迫感は高まるが、これ以上ない残酷な設定である。子どもをとって食う鬼の話もある。鬼ならまだ現実から距離感があるではないか。これが人間だとね、たとえ映画でも考えたくはないね。

 公開時(1984年)に友人間で「サランドラ」の意味について議論になった(時間を持て余していたんだね)。一人が配給会社に問い合わせたら、その答えは「サラマンドラ(サラマンダー=火の中に住むとかげ、架空の怪物)のマを削除しただけです」だった。え、何、ヌケ?
 ところで、公開時にテレビの宣伝文句で使われた「これが噂のジョギリ・ショック!」って何のことだったのか。今回DVDを見てもジョギリ・ショックらしいものは出てこなかった。「バーニング(1981)」では「これが噂のバンボロ・ショック!」と叫んでいた。





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Last updated  July 2, 2006 08:05:27 AM
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