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テーマ:DVD映画鑑賞(14215)
カテゴリ:ホラー映画
1.異世界を覗いてみたい
子供の頃、お祭りがあると神社の境内に見せ物小屋が立つことがあった。看板にはフリークスのようなものが描かれ、着崩れた着物姿のおばさんが鯛焼きを食べながら呼び込みをしていた。ときどき、幕の内側から「ワー」「キャー」などと声が聞こえてくる。 もぎりを通過すれば、異世界を覗けるかもしれない。入ってみたい。 「じゃぁね、ちょっと顔を見せてもらいましょうか」おばさんが場内に声をかけると、外幕の隙間からお姉さんが頭だけ出し、口に蛇をくわえて見せた。彼女は、蛇女だそうだ。目にできなかった全身については、楳図かずおの恐怖マンガに登場するような半蛇半人を想像した。 本物の蛇女を見ることができるのか、よし入ってみようと決意したところへ、実際に観客席で見てきた友達が出てきた。そいつに蛇女の形状をしつこく問い質してみた。すると、クネクネと這い回る動作もなければ、全身をおおう鱗もなかったという。所詮は生身の人間以外の何物でもないとわかった(当たり前だ)。それでは全くの期待はずれ、こちらは蛇を弄ぶ残酷ショーが見たいのではない。胡散臭いものに少ない小遣いをつぎ込むことに罪悪感を抱き、結局は入らなかった(今となっては、あのとき入って、どんなものであっても実際に見ておけばよかったと思う)。 見せ物小屋では異世界を体験できなかった。今自分が生活している世界とは異なる世界を覗いてみたい、という期待に応えてくれたのは、映画館だった。今は、シネマコンプレックスになって、ビルの中にいくつも映画館がある。けれど、昭和の時代は、映画館は一つの建物だったのだ。ガラスケースや入り口付近の立て看板に、夥しい数のポスターやスチール写真が貼られていた。異世界への覗き窓だ。それを見て、いつも、どんな映画でも、もぎりを通って、スクリーンで全貌を確かめてみたいと思っていた。とりわけ、怪獣もの、宇宙もの、怪談などは、普段日常生活の中では見られない場面がスチール写真に並んでいて、ますます異世界の趣向が高まるのだった。 けれど、現実世界と異世界の間には、もぎりという関門があった。子供には、おいそれと通過できない。それがもどかしく、異世界への憧れをさらに強めるのだった。 2.満足な異世界、不満な異世界 異世界に興味津々の子供にとって、夏休みの最大のイベントは、東宝特撮怪獣映画だった。遊園地、デパート、海や山と怪獣映画の中から一つだけ選べと言われたら、まちがいなく映画を選んだ。 「フランケンシュタイン対地底怪獣(1965)」は、映画館前でスチール写真を見て、なぜフランケンシュタインは巨大化したのか、バラゴン(地底怪獣)とはどんな闘いを繰り広げるのだろう、と毎日思いを馳せた。頭の中で、ストーリーなり映像なリがどんどん肥大化した。映画によっては、事前の期待や想像が大きくなり過ぎて、実際に見たときにはつまらなく感じることがある。だから、映画は白紙の状態で見た方がいいともいえる。 けれど、「フラバラ(フランケンシュタイン対地底怪獣の略称)」は、パンパンにふくらんだイメージに負けない面白さだった。大変満足して映画館を出ることができた。 それに反して「フラバラ」の前年の夏休みに見た「宇宙大怪獣ドゴラ(1964)」は、とんだいっぱい食わせものだった。 チラシには「モスラ、ゴジラより凄い!」とあった。「モスラ対ゴジラ(1964)」は、同じ年のゴールデン・ウィークに公開され、凶悪ゴジラと守護神モスラのバトルが話題を呼び720万人を動員した。それを上回る作品だという。さらに、おなじみのスチール写真には、空中から夥しい数のドゴラが地球を襲い、ビルやタワーを破壊している様子が描かれていた。もう、鼻血が出そうなくらい、頭の中はドゴラで占められてしまった。 ところがところが、実際の映画では、ドゴラは一体しか登場せず、しかも姿を見せたのはほんの数分だった。ストーリーや設定がどうであれ、子供心に見たいのは、怪獣であった。それなのに・・・。がっかりしているところへ父親が言葉をかけてきた。「おもしろくないから見ない方がいいっていっただろう」そんなこと、いったっけ? 3.DVDのパッケージに異世界の夢がもてるか 話は「ヴァン・ヘルシングvsスペースドラキュラ」である。日本では未公開。だから、映画館でポスターやスチール写真を見るのではなく、レンタルビデオ屋でDVDのパッケージを見て、内容に思いを巡らせた。 「西暦3000年、太陽の光が届かない理想的な宇宙の暗闇で、ドラキュラが邪悪な力を強めていく。それを阻止するため、ひとりのヴァン・ヘルシングが立ち上がる。」 「宇宙を征服するのはどっちだ」 なるほど、SFホラーという設定なのか。ヴァン・ヘルシング教授と吸血鬼ドラキュラは時空を超えて、闘う運命にあるのだな。宇宙を舞台にし、宿敵同士はどんなバトルを繰り広げるのか。 威勢のいい宣伝コピーのわりには、この作品がヒットしたとも、話題になっているとも聞かない。多分に胡散臭い。 「13日の金曜日シリーズ(1980~)」の「ジェイソンX(2002)」では、未来の宇宙船の中でジェイソンが殺戮を繰り返した。惨殺オンパレードはもうおなじみなのだけれど、宇宙版ジェイソンにリニューアルしたスタイルや、科学力とジェイソンの闘いを試みるなど、同じ素材でも、異なる手法で面白さを追求したところが楽しめた。 いずれにしても、JUNKな映画は、こじつけでも強引でも、破天荒で独特の異世界を展開することがある。そんな期待をもって「ヴァン・ヘルシングvsスペースドラキュラ」を見たわけです。さて、その結果は・・・・。 a.紀元3000年でありながら、宇宙船がボロかったり、20世紀風の拳銃やライフルが出てきたりして、SF的な雰囲気に素直に入り込むことができない。 b.「エイリアン(1979)」の舞台設定を真似ているが、本家の方で薄暗い中に無気味なエイリアン・エッグが並ぶシーンを、この作品では宇宙船の床にただ棺桶を並べただけにした。おどろおどろしい雰囲気がまるでない。 c.ドラキュラ役者に華がない。日本に支社はなく、事務所か仮営業所があるだけの弱小外資系会社の社員にしか見えない。 d.最大のいっぱい食わせどころは、なんとヴァン・ヘルシングとドラキュラの白熱の闘いがない!のだ。原題は「DRACULA 3000」だから邦題が誇大広告なのだろうが、ストーリーの中でもヴァン・ヘルシングは代々バンパイヤハンターとしてドラキュラと争ってきた、などと期待をそそるセリフがある。しかし、ヴァン・ヘルシングのヒーローらしい活躍はありません。それどころか、ドラキュラにやられてあっさりと吸血鬼になってしまいます。 e.吸血鬼になったヴァンくん、観客も仲間も一瞬びっくり(させただけ)。けれど、あっという間に心臓に杭を打ち込まれて絶命。主人公が話の途中で姿を消してしまうなんてことがありえるのか。信じられないけれど、あるのだ。これは意図的に主人公を吸血鬼にしておもしろさを出そうとしたのではない。作る側の力不足でそうなっちゃんたのだと思う。 f.黒人乗組員と女性型アンドロイド(本家「エイリアン」は男性型だったけどね)が生き残り、ドラキュラから隔離された部屋に立て籠もる。絶体絶命の場面で女性アンドロイドが誘いかける。「私は今でこそ捜査官ロボットだけど、前は男性を楽しませる仕様だったのよ」最後の人間は「そうだったのか。もうにっちもさっちもいかないんだから、お前と楽しんじゃおう」とアンドロイドを担ぎ上げた。そこで映画は終わる。終わっちゃうのよ、これが。復活ヴァン様がドラキュラを倒し、二人を助け来るのではないか、との淡い期待は、エンドクレジットによってもろくも崩れ去った。 4.異世界を別の視点で見た場合も DVDパッケージの宣伝コピーをそのまま信じるなんて、子供のころの「宇宙大怪獣ドゴラ」の経験がまったく生きていないね。少なくとも、ヴァン・ヘルシングの知力対ドラキュラの妖力の対決、そんな伝統の一戦が、片鱗であっても宇宙で行われるだろうと思っていたのだけれども。今回は、「ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘(1966)」を見たときよりも失望が大きかった。 「南海の大決闘」のコピーは「南海の孤島に展開する三大怪獣世紀の対決!」。当然、三大怪獣の三つ巴戦を期待した。ところが、ゴジラとエビラが激しくバトルをしていても、モスラは全然からんでこない。ずっと眠っているだけ。やがて、エビラはゴジラに負けて退場する。ようやく目覚めたモスラ、こんどこそゴジラと激戦を繰り広げるのだな、「モスラ対ゴジラ」のリターンマッチだ、と期待したが、モスラの役目はインファント島の島民を救出することだった。ゴジラとの闘いは牽制程度で終わってしまい、モスラは島民を乗せた篭を引っ張りあげて飛び去っていった。仕切りで思いっきりぶつかっていったら、するっと肩透かしを食らったようなもんだ。 「宇宙大怪獣ドゴラ」「南海の大決闘」も、公開当時は、子供だから、怪獣の登場場面やバトル・シーンばかりに期待を集中させていた。そのため、そこからの評価しかできなくておもしろくないと感じた。その後に見直してみると、素晴らしい作品とはいえないまでも、その映画なりの異世界を感じることができる。マニアックに、東宝特撮映画史における一本というとらえで、前後の映画との関連を考えながらの見方もある。 「ヴァン・ヘルシングvsスペースドラキュラ」も、期待したような善と悪の対決がなかったという見方ではなく、もっとちがった視点から見てみれば・・・いや、やっぱり、もう二度目に見ることはないね。珍品として、しっかりと記憶には残りましたが(見た価値はあった。全く無駄なのではない)。 映画には、あたりはずれがあるからね(はずれすぎってのもある)、それはしかたない。せめて雰囲気だけでも異世界を楽しむためには、もぎリを通り抜け、映画館の闇の中に身を置きたいね。リビングルームでDVDを見ていたら、日常生活の延長になりかねません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 8, 2006 09:26:43 AM
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