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August 12, 2006
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カテゴリ:カンフー映画
0.前書き
 香港映画の中には、タイトルに少林寺と忍者のついた作品が、いくつかある。このブログでも「激突!少林寺対忍者」について書いたことがある。少林寺と忍者の対決というと、なかなかに興味をそそるものだが、それらの映画は、必ずしも少林寺と忍者が話と中心となっているわけではないし、少林寺と忍者の大決闘を描いているものでもない。少林寺と忍者は、中国的な強いものと日本的な強いもの、それぞれの代名詞になっている。

1.気配りの映画
 高校野球、サッカーワールドカップ、オリンピックなどは、ほとんど見ない。劇団四季も見ない。クリーンなイメージがあり、世間的にみんなが話題とするなるものばかりだが、残念ながら魅力を感じない。スタジオ・ジブリもダメだ。
 その点からすると映画「少林寺VS忍者」も、ダメな部類に傾いている。ジャンルからすれば香港カンフー映画はこちらの守備範囲なのだが、この作品の中の「気配り」から、みんなに好かれようとしている印象を受けた。そのために、趣味に合わないところがある。
 「少林寺VS忍者」のDVDには、主演俳優リュー・チャーフィー(KILL BILL(2003)に出演)のインタビューがある。そこで彼は、「この作品は中国と日本の武術の闘いを描いているが、監督の心配の種は、どちらが強いとはいえないことだ」「中国と日本の武術の優劣や勝負を決めるものではない」「中国人の主人公に肩入れしているが、どちらが勝っても、香港にしろ日本にしろ、負けた方の観客はおもしろくない」と繰り返し述べている。中国にも、日本にも「気配り」した映画というわけだ。
 結果的にこの映画は香港で大ヒットし、リバイバル上映もされたという(中国人にとっては、自国のリュー・チャーフィーが勝つ話だからね)。作った側としては成功だったのだろうが、一観客としては、どっちにもいい顔をして、あたりさわりがないように志向したあたりが不満である。

2.日本人が悪役でもいいじゃないか
 ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳(1973)」やジミー・ウォングの「片腕ドラゴン(1972)」などには、悪役の日本人が出てくる。そして、中国人のヒーローに成敗されたりすると、確かに日本人としては、ちょっと複雑な心境になる。
 「少林寺VS忍者」で、リュー・チャーフィー演じる主人公は、日本人の七人の武道家と毎日一騎討ちを続け、辛勝とは言え、連戦連勝する。「相手は達人だぞ、たった一人で勝ち続けられるわけないだろう」と映画に対してリアリズムをもちだし、クレームをつけたくなる。日本人が勝ち続ける話ならば、疑問ももたず、気持ちよく見ていられたのだろうけれど。オリンピックでもワールドカップでも、興味をもって見ることはないが、日本が勝った聞けば、それはそれで嬉しいものだ。
 しかし、映画は虚構の世界なのだ。日本人が極悪非道な役を割り振られていようが、そこによほど日本に対する意図的なバッシングなどが見られない限り、それほど役の上のことにこだわるものではない。
 この作品の監督であるラウ・カーリョンは、もともと武術家である。彼の興味の焦点は、武術の美をスクリーンに映し出すことにあったのだと思う。彼は、中国武術と日本武道のお互いのよさを引き出して、異種格闘技交流戦が描きたかったのだろう(リュー・チャーフィーはインタビューで「技の磨き合い」「文化交流」といっている)。彼が武術家として、日本武道に十分敬意を払ったことはわかる。勝負において、圧倒的な力の差はなく、僅差で日本側が負けること、また、負けた日本人も大変潔いことなどから。さらに、花嫁が結婚式で白無垢を着ていると、中国人にとっては不吉な色だと囁きが聞こえてきたり、日本人にとっては正座して食事をするのが基本なのに、中国人はそれを死刑囚の食事の仕方ととるなど、民族によって異なった解釈をするというシーンを提示し、観客に異文化に対する理解を促している。
 だが、同じような素材なら、中国征服を企む忍者軍団と、迎え撃つ少林寺修行僧の秘術をつくしたバトルといった内容が見たかったなあ。どちらにも気を遣うのではなく、虚構の世界ならではの思い切ってスケールの大きいもの、悪と善がはっきりしていて、きちんと決着がつくものが好きなのだ。
 
3.夫婦喧嘩から二カ国対抗異種格闘技団体戦へ
 中国人武術家アタオ(リュー・チャーフィー)は、日本人女性と結婚する。妻となった弓子は、武道家であって、結婚後も修行に余念がないし、なおかつ日本武道の優位性をひけらかす。そうくるとアタオとしても、武術家として黙っていられない。二人は、顔を合わせるたびに格闘を繰り返し、自分の正しさ、自国の格闘技や文化を相手に認めさせようとする。
 何度か目かの対決で、弓子は忍術を使う(黒の忍者装束を着て)。アタオから忍術の戦法は卑怯だ、正々堂々と闘うことが大切だと言われ、「どんな手を使っても勝つことが優先よ」と反論するが、言い負かされてしまった弓子は、日本に帰ってしまう。それきり妻が戻ってこないため、アタオは、弓子に「挑戦状」を送る。その挑戦状を、弓子の兄弟子倉田保昭が目にして大激怒(じつは倉田は弓子に気がある)。武道連合とともに中国に乗り込んできて、アタオとの闘いが行われる。
 あらすじからして、コメディー・タッチなんですよね。新婚早々の弓子が武道の稽古と称して、庭の塀や置き物などをつぎつぎに破壊していく場面などがある。これは、笑う場面なんだろうなあと思うけれど、ギャグ特有のオーバーアクションやリアクションが感じられなくて、真剣に鍛錬をしているように見える。こちらの読み取る力も不足しているのだろうが、笑っていいのかどうか、ちょっと判断に迷ってしまった。雰囲気からして、生死を賭けた闘いにもっていこうとするものではないことはわかりました。
 後半は、アタオ対日本武道家連合の七番勝負が展開される。剣術対剣道、酔拳対空手、中国槍術対日本槍術、短剣対サイ、などなど。そして最後が少林寺拳法対忍術、リュー・チャーフィーと日本側のエース、倉田保昭のメインイベントだ。この試合で倉田は、「日本の蟹形拳だ!」と大見得を切る。そんな拳法はないと思うぞ。頭の上のハサミを振り振り、まさにガニマタで右へ左へと横歩き気味に動く。対するリュー・チャーフィーの優美な鶴形拳にくらべると、ギャグに見えるのだけれど、本人は真剣にやっているので、やっぱり笑っていいかどうか迷った。
 これらの勝負をみんなリュー・チャーフィーが勝っちゃうのです(倉田戦だけは、微妙な一勝一敗なんだけど)。日本側としては、ちょっと不満でしょ。でも、ちゃんと「気配り」があるんだな。巨漢の柔道家との闘いでは、リュー・チャーフィーが裸になり、油をぬって掴まれないようにする。だから圧倒的に体力で勝る日本人柔道家は、負けても言い訳ができるというものだ。三節棍対ヌンチャでは、実力は同等だが、三節棍の方がヌンチャクより寸法が長かったために、その差が勝敗の分かれ目となった。リュー・チャーフィーは、インタビューの中でこの闘いにふれ、格闘技においてリーチの差はいかに大きなハンディとなりうるかを解説している。
 つまり、勝負はときの運で、たまたま(8回も!)リュー・チャーフィーが勝ったけれど、日本武道も本当の意味では負けていないんだよ、というわけだ。気配りだねぇ。すべての取り組みが終われば、お互いの技量や精神、作法に対する理解が深まり、ノーサイド。カンフー服と羽織を脱いで、交換するかと思ったぞ。
 
4.プロレス的「気配り」と座頭市の負けバージョン
 この作品の気配りは、かつてのプロレスの勝敗の決し方に似ている。スター・レスラー同士の試合では、両者リングアウト(通称「両リン」)や時間切れの引き分け、または反則で勝敗が決まる(ルール上の勝ち負けと実力による勝敗は別な価値観という解釈。反則負けした悪役が試合後も元気で、勝ったヒーローが力つきていることもある。その場合はどっちが強かったのか)ことが多かった。実力が拮抗しているということで優劣がつかず、両者ともに商品価値を落とすことなく、決着戦が次回にもちこまれて、観客の期待を煽ることになった。この場合、同じ引き分け(反則決着)でも、あらかじめ引き分け(反則決着)に持ち込もうとするイージーな試合と白熱の好勝負の末の引き分け(反則決着)では、観客の満足度は全然ちがった。
 90年代以降は、完全決着が当たり前になってきた。それは、プロレスの不透明決着に対して、観客が段々と不満を表面化させてきたからだった。ね、お互いの商品価値を落とさないってのは、見ている方にはつまらないんだよ。けれど、今でも、レフェリーが不可抗力でレスラーと激突して気を失うなど、アクシデントによって勝敗が決まってしまうことがある。試合の結果は出るが、レスラーの強弱は明確にならないという、まさにプロレス的決着はまだ綿々と生きているのだ。
 それにしても香港の人は、勝敗に対する執着心が強いのだろうか。ブルース・リー以前のスーパースター、天皇巨星ジミー・ウォングは、勝新太郎に招かれて「新座頭市 破れ!唐人剣」に出演した。その映画には、エンディングが2つあったそうだ。座頭市が勝つパターン(日本公開版)と、ジミー・ウォングの片腕剣士が勝つもの(香港公開版)と。
 ジミー・ウォングは香港における超大物俳優だし、片腕剣士は彼の当たり役である。だから自己のイメージを傷つけたくなかったのだろう。しかし、相手は大先輩の座頭市ですよ。ジミーの片腕剣士シリーズ(1967,69)は、2本のみ(カンフーバージョンの「片腕ドラゴンシリーズ(1972,76)を加えても4本」。それにくらべて座頭市は、この作品ですでに22本目(映画作品は全26本、テレビは全100話)、ですよ。さらに、片腕剣士は座頭市をヒントに作られたものといわれている。格の点でいったら、新鋭の片腕剣士が、十分実績を積んだ座頭市に負けでもいいじゃないかと思うのだけれども。

4.日本進出作戦
 リュー・チャーフィーは、DVDのインタビューで「ラウ・カーリョン監督は、どちらかが負けることがないよう、とても気を遣っていた」と繰り返し述べていた。日本人の観客への配慮は大変ありがたい。けれど、この作品は当時日本では公開されていないのだ。後にビデオになって、ようやく日本で日の目を見たのだ。どうしてあの時点で、そんなにも日本の観客を意識する必要があったのだろう。
 もうひとつ、劇中、日本から乗り込んでいった7人の武道家は、全員日本人俳優である。他の映画では、仇役の日本人を必ずしも日本人が演じてはいない。それなのに、香港に渡って活躍した倉田保昭は別格だとしても、そのほかに八名信夫や大前均など、もれなく日本から俳優を招聘し、妻役にもまったく無名ながら日本人女優水野結花を配している。これは、日本向けのキャスティングととれる。
 じつは、ラウ・カーリョン監督やリュー・チャーフィーが、この作品で日本進出を計画していたのだ!と思うけど。





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Last updated  August 12, 2006 10:21:48 AM
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