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カテゴリ:カンフー映画
6月3日(水)、NHKBSプレミアムの「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で「燃えよドラゴン誕生 ブルース・リー 最後の闘い」が放送された。 のっけからボブ・ウォールが登場したよ。 ブルース・リーの映画を彩った重要な人物の一人だよ。 『燃えよドラゴン(1973)』以後は寡聞にして名前を聞かなかった。しかし、ブルース・リー関連のイベントなどにゲストとして呼ばれ続けてていたとのこと。 ブルース・リーは早逝したが、ボブ・ウォールはご高齢に達した現在もご健在でなによりだ。 ボブ・ウォールは、主役級ではなかった。しかしながら、彼は彼なりに、ブルース・リーのイベントでファンに歓迎されて、充実した人生を送ってきたのだろう。 番組の中では、ブルース・リーの「型は持たない」という言葉が取り上げられていた。 何かにとらわれること、執着することは、いわば型にはまることだ。 型にはまれば、型にそってしかものが考えられなくなる、行動できなくなる。 人間は本来、よりよく生きるという目的があるはずだ。 しかしながら、型にはまってしまい、ひとつの主義主張あるいは信条などにこだわりすぎると、それ以外のものを排除したくなる。自分の考えが正しくて他はまちがっていると。 主義主張や信条というのは生きるための手段であるはず。ところが、主義主張や信条にそって生きようとすればするほど、他の価値観やそれをもつ人間を受け入れることができなくて、かえって生きにくくなってしまう。 これを本末転倒、または自由を失うという。 格闘技の目的は相手と闘うことである。手段であるべき流派の型を厳守することではない、というのがブルース・リーの考えだろう。 流派という集団のお山の大将になることと、格闘技を極めることは、自ずから違うのだ。 そして、型にとらわれるのことは、あの技を教わってなかったから負けたという受け身的な愚を冒すことにもつながる。常に相手の出方を想定し、自分のもっている技で、応用を利かせて闘う姿勢が大切だといえるのではないか。 型とは量であり、型をもたないとは質であるかもしれない。 量をふやすことに頼らず、シンプルに質を高めたいものだ。 また、ブルース・リーは「水はあらゆる形になれる。ティーポットの中に入ればティーポットの形に。カップの中に入ればカップの形に。水の如くあれ。吾が友よ」とも言っている。 自分一人だけで生きていけるのではない。様々な外的要因がとりまいている。 その中で、ものごとの本質や自分自身を大切にしながら、柔軟に生きていきたいものだ。 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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