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テーマ:DVD映画鑑賞(14215)
カテゴリ:ホラー映画
1.最恐「四谷怪談」
夏休みだった。子供の頃、新聞のテレビ番組欄の深夜放送に「四谷怪談」の映画を見つけた。「見たい、見たい」と騒いでいたら、夜になって寝ているところを父親が起こしてくれた。 寝ぼけまなこでテレビの前まで来たが、映画が始まると、頭の中でお岩さんの片目がつぶれた顔が、暗闇の中で稲光りに浮かび上がるように点滅した。それだけでいっぺんに怖じ気付いた。これからいったいどんな恐い場面が展開されるのだろうか。あれほど楽しみにしていたのに、もう恐怖に耐えきれなくなってきた(情けない)。 「恐いから見ない」と一言いえばすむものを、そうとはいえず固まっていたら、母が声をかけてきた「眠いたいんでしょ」。そう、見たいんだけど、眠いんだ。決してこわいわけじゃない。「無理して起きてることないよ」「わかった。寝るよ」目をこすりながら、布団にもぐりこんだ。そのときの「四谷怪談」で覚えているのは、モノクロ画面の中、伊右衛門が所在なさげに歩いている場面だけだ(だれが伊右衛門役をやっていたのか)。 いずれにしろ、四谷怪談は恐いですよ。お岩さんの顔が醜く腫れ上がるのが恐い。その形相で伊右衛門に、徹底して祟るところが恐い。お岩さんは、邪悪な妖怪ではない。もともとは善良な女性で、何の罪もないのに酷い顔にされてしまった。まじめに生きていても、報われないじゃないか。そこが恐いよ。さらに、もともとは非力な女性でも、死後は伊右衛門に祟る。その怨念パワーが恐いじゃないか。 同じ時期に、狼男、フランケンシュタインの怪物、ドラキュラ、など海外のホラーものの洗礼も受けた。けれど、恐くて見ていられないなんてことはなかった(強がりじゃないよ)。興味津々で最後までしっかりと見ていた。 2.情報の見せ方が恐怖を増幅する 最近のものでは、小説版「リング」 (1991)が恐かった。けれど、映画化(1998)されたものはそれほどでもなかった。「着信アリ(2004)」も、恐怖が盛り上がる。しかし「リング」のバリエーションだから、斬新さはなかった。雑誌の記事だったと思うがVシネマ「呪怨(1999)」が恐いとあった。早速見てみた。これは、ホントに恐い。恐怖に浸り、十分な満足感があった。 少女の下顎が抉り取られて落っこちていたとか、職員室の机の下を覗くと白塗りの男の子がしゃがんでいたとか、オムニバスで恐怖場面が語られる。一軒の家に関係した話なのだが、時系列がバラバラで、それぞれがどう関連しているのか、何が原因となっているのかなどよくわからない。情報の混乱が、恐怖心を煽るのだ。 韓流ホラー(という言葉はないかもしれない)またはKホラー(という言葉もありそうだがないのかな)の「ボイス(2002)」(携帯電話を使ったホラーで、元祖「着信アリ」といってもいいかもしれない)は、恐ろしい出来事が連続した後で、そのようになったわけについて、回想場面による大変ていねいな説明が入る。律儀というか真面目というか、きちんと断っているのだが、理論的な展開すぎたり、幸せだったあの頃の描写でトーンが変わったりして、盛り上がっていた恐怖のテンションが一気に急降下する。同じ韓流Kホラーの「コックリさん(2004)」でも、おどろおどろしい話が続いたあとで、実は30年前に・・・、と説明が入る。同じ監督だとすぐにわかってしまった。 「呪怨」は清水崇の作品である。彼の最新作「輪廻」は、やはり恐怖を煽る情報の見せ方をする。35年前の殺人事件ではどんなことが起きたのか、人々が何者かによって連れ去られていくのはなぜなのか、などについて、映画の中で過去の殺人事件の映画化を進行させ、そして犯人の撮影した8mmフィルムを見せていくことで、知りたいと思う観客の要望に、小出しに応えていくところがニクい。未確認なもの、全貌が見えないもの、理屈でうまく説明できない事柄に対して、人間は恐怖心を抱く。情報が不足しているからだ。霊なんてものは、我々が理解する上で情報が少なすぎるので、恐いのだ。 情報によりフェイントをかけるところもある。人形を抱えた少女がヒロイン優香の前に現れては消える。「おまえがその少女の生まれ変わりだとでもいうのか」なんてマネージャーから優香に向けられたセリフもある。観客は、優香の役柄からすれば、そうなのだろうなと思っているとそうではなく、予想外の展開を迎え、観客は(もちろん優香も)驚愕の恐怖を味わうのだ。 3.優香に何の罪があるってんだよ さらに、最大の恐怖が優香に襲いかかる。 輪廻転生があると仮定して、その人の霊が過去に大泥棒であったり、殺人鬼であったりしても、今を生きる者に罪はあるのだろうか。 現実の世界で、輪廻転生がはっきりとわかることはない(今のところはね)。しかし、現世を生きる者が病気などの不幸に見舞われたとき、霊能者や占い師などから、その原因を先祖の行いにまで遡っていわれることがある。あるいは、何代前の誰某がちゃんと供養されていないので、その影響が出ているなどということもある。 そうなると、たとえ今生きている者が、地道に、一生懸命、人様に迷惑をかけないように務めていたとしても、無駄なのである。それって、気の毒でしょう。いや、理不尽に恐いことじゃないか。 「輪廻」の恐さはここなのだ。優香は、この映画の主演女優。たいていの場合、映画のヒーロー、ヒロインは、自分が抱える課題や問題を解決しようとがんばるわけです。「リング」でも「着信アリ」においても、ヒロインたちは、自分や家族にふりかかった「呪い」というどうしようもできないできごとに対して、手がかりを探し、災いを回避しようと努力する。ところが、優香は何もしない。少女の霊が身の回りをうろつこうが、奇怪な夢を見ようが、ただ受け身的に脅えるだけ。もっというと、女優になりたいかどうかさえはっきりしない。マネージャーがやきもきするほどに、オーディションで目立とうとする気がないし、仕事に対する意欲がない。 そんな大人しい、誰にも迷惑をかけないような女性にも、前世が祟ってしまう何て、恐いじゃないですか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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