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November 5, 2006
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カテゴリ:コメディ映画
 プロレスごっこで技をかけようとしても、相手がかかるまいとふんばると、技が決まらなかった。例えば足四の字固めは、相手が足をピンと伸ばしたまま力を入れると、テレビのプロレス中継で見たように、たやすく膝から折り曲げて技に入ることはできない。
 こちらが大人で、相手が子供の場合には、圧倒的な力の差で固め技ができる。さすがに投げ技は、相手が怪我をするからやらない。けれど、走ってくる小学生に、すれちがいざまウエスタン・ラリアットをぶちかましてやろうとしたら、あっさりかわされた。
 プロレスを信じる者は、技をかけるときに、対戦相手の協力があるとは夢にも考えない。きっとプロレスラーは、厳しいトレーニングによって、プロレス流の高度で、複雑な技をいとも簡単にやってのけるテクニックやタイミングを身に付けているのだろうと推測する。
 あるバラエティ番組で愛川欣也が「プロレスなんて、あんなものは最初から勝敗が決まってるんですよ」と公言しても、「そんなことはない。お前の素人演技こそ八百長だ!」などとテレビに向かって怒鳴りつけた。プロレスの試合展開の中で起こることは、そのすべてを信じきっていたから(95パーセントくらいだけど)。それがプロレス好きだ。
 プロレスラーとは、超人的な強さをもった別格の存在だと思っていた。しかし、最強を確信していたプロレスラーたちが、総合格闘技のリングで、次々に敗れた。それでも、プロレス好きは、“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノだったら、キックやパンチをものともせずに突進し、相手の胴を絞り上げる怪力ベア・ハッグでいとも簡単に勝利を得たはず、“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックだったら、マウントポジションに押さえ込まれても、相手の顔面へのアイアンクロー一発で逆転勝利だ、などと余裕をかましたものだ。
 21世紀、ついにアメリカWWEは「プロレスはショーである」とカミングアウトする。それは、アメリカでのこと。日本のプロレスは、違うと言ってくれ、と思っていたら、ミスター高橋の暴露本「流血の魔術 最強の演技―すべてのプロレスはショーである」が出版された・・・・・。
 WWEのファンなどは、「勝敗にこだわるより、気楽に見られていい」と言うが、プロレスは、見せる要素が強くあったとしても、やっぱり勝敗は実力で決めてほしい。
 ところが、プロレスの勝敗が実力で決まる試合があった。それは、映画という虚構の世界だった。
 「ナチョ・リブレ 覆面の神様」は、実在のルチャ・ドール(メキシコのプロレスラー)“暴風神父”フライ・トルメンタをモデルにしている。フライ・トルメンタ、本名セルヒオ・ペニテスは教会の神父である。身寄りのない子供達の面倒を見る一方、彼らの生活費等を捻出するために、覆面のルチャ・ドールとなってルチャ・リブレ(メキシコのプロレス)に出場していた。
 まさに梶原一騎、辻なおき原作の「タイガー・マスク」を地で行く話である。フライ・トルメンタについては、テレビ番組で何度か紹介されているし、ジャン・レノ主演で「グラン・マスクの男(1991)」として映画かもされている。
 プロレス好きが、プロレスを扱ったドラマや映画、小説などに接するときには、まず、「プロレスを茶化した内容ではないか」と疑う。それは、プロレス好きが、非常な警戒心をもっているからだ。他人と打ち解けて、うっかり「じつはプロレスが好きなんです」などと言おうものなら、聞いた人は飲みかけのビールを吹き出して「プ、プロレスですかぁ?」と軽蔑の眼を向けられる。
 そのようにプロレス好きは、日常的にいわれなき差別を受けているので、いつも扱いには敏感である。映画や小説などに登場するプロレスラーが、図体がでかいだけの大食らいで鈍感な役立たずであったり、プロレスの試合がショーという以上に手抜きの馴れ合い勝負として描かれていたりすると、我慢ができない。作り手が、プロレスを軽く見ていないか、きちんとプロレスを理解して作っているか、厳しいチェックを怠らない。
 「ナチョ・リブレ 覆面の神様」ではプロレスを、貧しい修道院の料理番イグナシオ(ナチョ)の憧れの世界として描いている。けれど、修道院では、プロレスは禁忌なのだ。神聖な場所に闘いは馴染まないのであろう。
 イグナシオは、修道院の孤児たちに、よりよい食事をさせるために、アマチュアのプロレス大会に出場する(言葉が矛盾している)。メキシコの田舎町などには、こういったプロレス大会があるのだろうか。レスラーというよりはゾンビかゴブリンみたいな、不気味なアマチュア・ルチャドールが対戦相手だ。プロレスラー特有の筋肉隆々な様子など持ち合わせないところが、プロにはなれないルチャ・リブレ好きの集まりという感じがする。アマチュア以上、ただのプロレス好きの素人であるイグナシオをいきなりプロに試合に出さず、田舎のプロレス余興に参加させるのは、なかなか慎重な演出である。
 そんなアマチュアが相手でも、イグナシオは勝てない。ところが、試合の様子や負けっぷりにファンができてしまう。ファイトマネーをもらい、試合出場の要請も受ける。このあたりが、勝敗よりも試合過程を楽しみ、試合内容を評価するプロレスらしさが現れている。
 ある日、修道院に、子供たちの先生として、シスター・エンカルナシオンがやってくる (男の修道院にシスターが同居することはあるのか?) 。シスターに一目惚れしたイグナシオは、大張り切り。だがシスターは「プロレスの戦いは、虚栄心のためのものです。本当の英雄の闘いは、誰かのため、何かのためのものでなくてはなりません」と言う。これは、いい言葉だ。「プロレス」をほかの言葉に換えても通用するセリフだ。
 虚栄心の塊として描かれるのが、ルチャ・リブレのスターレスラー、ラムセスである。イグナシオは、ラムセスとの対戦を賭けてバトルロイヤルに出場する。「ファイトマネーで子供達にバスを買って、みんなで遠足に行くんだ」、それが、イグナシオの闘いの動機である。そして・・・(公開されたばかりの映画ですので、ネタバレはやめます)。
 この作品は、ダメ男が一生懸命がんばる話だが、プロレスを舞台としたのがいい。これがテニスとかゴルフのような世間的に認められたスポーツだったら、また印象が違っただろう。プロレスはどことなく胡散臭いものだから、イグナシオは、虚栄心ではなく、本当にプロレスが好きなのだとわかる。ダメ男が現を抜かすには絶好の対象であり、イグナシオの純粋さを窺い知ることができる。
 イグナシオは「オレはこんなにプロレスが好きなのに、どうして神は強いレスラーにしてくれなかったのか」と嘆く。その気持ちは、すごくよくわかる。「プロレス」と「強いレスラー」をほかの言葉に換えても通用するセリフだ。
 イグナシオを演じたジャック・ブラックは、キャラクター的に西田敏行みたいな俳優かなぁと思って見ていた。西田敏行は、基本的に善人を前提としている役を演じている。ご自慢の口をUの字にして笑窪を浮かべた表情にそれを感じる。観客は、西田敏行は、いつもいい人だから、はずれた行動をしても、許す、安心できる、というところがある。しかし、ジャック・ブラックは、善人を言い訳にしないで、ひたむきなおバカ・キャラクターを演じていた。虚栄心なしで、おバカだった。
 イグナシオのおバカな活躍に笑いました。 (その笑いは、プロレスをバカにした笑いではない)。楽しく、そして、素直に感動できる映画です。誰もが楽しめます。プロレス・ファンにも、そうじゃない人にも。
 現実のプロレスも、活気をとりもどしてほしいなぁ。

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Last updated  November 5, 2006 04:56:19 PM
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