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テーマ:最近観た映画。(40140)
カテゴリ:ホラー映画
「ブラッドレイン」は、“血の雨”かと思いましたが、原題はBLOODRAYNE。レインは、RAINではなくRAYNE、女性の名前で“血まみれレイン”というわけです。なんで血まみれなのか。彼女は“ダムフィア”とよばれるハーフヴァンパイア(吸血鬼と人間の間に生まれた)だった。ハーフヴァンパイアといえば、菊地秀行原作の小説「吸血鬼ハンターD」が有名。Dは“ダンピール”と呼称されていました。
レインの父親は、最強ヴァンパイアといわれるケイガンです。レインが子供のとき、母がケイガンによって惨殺された。レインの目的は、ケイガンへの復讐である。 レインを演じるのはクリスタナ・ローケン、好みだぁ。劇中、よもやのサービス・シーンがありました。「もうけもの」と思った反面、美しく気高い女性が安易にヌードを売り物にしちゃあいかんといった気持ちにも。複雑なファン心でございます。 かつて「マスク・オブ・ゾロ(1998)」でキャサリン・ゼタ・ジョーンズを見たとき、こんな美しい女性はいないと思いました。映画の内容よりも、キャサリンの登場シーンを追っているだけでよかった。そんでもって大いなる期待をもってキャサリンの次の作品「エントラップメント(1999)」を見たのですが、そのときは何の感動もありませんでした。役柄やメイク、ファッションによって、女優さんのイメージはずいぶんとちがって見えるんだよね。あるいは、ファンの身勝手な移り気とか。 調べてみたら、クリスタナ・ローケンは、なんと「ターミネーター3(2003)」に登場する敵アンドロイドT-Xでした。そういえばT-Xも魅力的な容姿だったような。睨みつけるような表情ばかりだったから、ちょっと印象がちがった。こんどDVDを借りて見直してみましょう、半額セールのときにでも。 クリスタナ・ローケンの“ブラッドレイン”、臍出しルック(というのかどうか知らない)がスタイルのよさを際立たせています。けれど、映画に登場する人たちは、皆夏のいでたちではありません。寒くはないのか、お腹が冷えないのかと、要らぬ心配をしてしまいます。先日居酒屋で、別のテーブルに座った女の子が、股上の浅いジーンズ(ブラジルジーンズって言うんですかね?)をはいていました。後ろ姿は、あれあれお尻の割れ目の上の方がはみ出ていて、ついつい目がそちらに。嬉しいとかセクシーと言うよりは、だらしない感じでありがたみがない。クリスタナ・ローケンは、胸の谷間こそ見せていますが、お尻は出ていません。キリッとかっこいい。 ハーフヴァンパイアとかヴァンパイアハンターとかに、目新しさはない。「ブレイド(1999)」や「アンダーワールド(2003)」など、同じような内容の映画がいくつもあります。「ブラッドレイン」は、ビデオ・ゲームの映画化。オリジナルのゲームでは、1930年代が舞台なのですが、映画は時代設定を18世紀にしてあります。先行するヴァンパイア映画と区別するために、時代劇としたのでしょうか。ゲームは、第二次世界大戦以前、レインが世界征服を企むナチスと闘うようです。オリジナルと同じ設定にしなかったのは、制作時間や予算との関係ではないかと睨んでいます。 そのわけは、ひとつにアクションがしまらない。レインは、トンファーのような握りのついた剣を武器にしています。その闘いぶりが、とてもお粗末。後にレインは、ヴァンパイアハンターの組織「業火の会」と共闘し、あらためて格闘術の指導を受けます。その指導前、指導後の差異を示すための細かい演出かと好意的に解釈しようと思いましたが、そういうわけではなさそうです。 さらに、物語も、なんだか雑な展開。この映画の吸血鬼は、太陽光や十字架と同じように“水”にも弱い(これまで吸血鬼は“聖水”に無抵抗でしたが、今回はただの“水”もダメという設定)。レインも、水に腕をつけると火傷を負ってしまいます(冒頭、見せ物小屋で水につけられ肌がボロボロになるシーンがあります)。当然ストーリーの中で、レインが“水”によって窮地に陥るところがあるだろうと予想しました。 ビデオ・ゲームによくあるように、レインは3つの遺物=アイテム(いにしえの偉大な吸血鬼の“目”、“肋骨”、“心臓”)を集めようとします。もし、3つの遺物がケイガンの手に渡ると、究極バンパイアが誕生してしまいます。“目”の有り場所に辿り着き、手にした瞬間に水攻めにあいます。必死に水から逃れるレイン。しかし、“目”が レインと同化すると、水に触れても火傷をしなくなりました (このシーンは、まばたきしたら目の色が変わったという簡易なアナログ描写。こんなときこそ、CGを使って劇的な場面にしてほしい)。 “目”が同化する前に、水攻めの飛沫により、レインが体のあちこちに火傷をするというようなシーンを入れてほしかった。そうすれば、水から逃れようとしてスリリングな展開になります。さらに、“目”を手に入れたことにより、水に強くなったことが観客によく伝わります。レインが見せ物小屋で火傷するシーンは、30分以上も前に終わっているんだよ。その間を観客に依存してつなげさせようとは、演出の怠慢です。それとも、ただ私の頭が悪いだけか? このお話は、レインの個人的な復讐と同時に、最強ヴァンパイア=ケイガンの世界制覇を阻止するという方向性をもっています。結果的に、レインの目的は果たされて映画は終わりますが、何が解決したのかよくわかりません。 例えば、007の映画において、ジェームズ・ボンドが犯罪組織スペクターの陰謀を阻止するといった場合、あわやのところで核爆弾の奪回に成功するといったスリリングで具体的な行動があります。 ところが、「ブラッドレイン」においては、ケイガンを抹殺したことで、人類はどんな危機から救われたのかがおやじの寝言ように意味不明なのです。世界制覇の計画が着実に進行している様子などを示せば、危機感が煽られたように思いますが、それはありません (町に吸血鬼が出没するシーンはあります。そこから類推すれば、ケイガンの世界征服とは、吸血鬼だらけの世の中になるということでしょう(だから観客に依存するなよ)。それにしても、とても漠然としています)。 筋立てがレインの復讐に焦点化されていれば、まだ、レインがケイガンに勝つことにカタルシスがあったかな。 この映画の頼りなさにより、ますますクリスタナ・ローケンの贔屓になりました。あんなに美しいのに、こんなイージーな映画に出るなんて、気さくな人だなぁ(他に仕事のオファーがなかっただけだったりして)。 毎週日曜日の朝には必ず更新しています。つぎも読んでくれたら嬉しいです。 人気blogランキングに参加中。クリックしてください。 ご協力、よろしくお願いします。 みんなブルース・リーになりたかった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 27, 2007 06:45:15 AM
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