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テーマ:最近観た映画。(40134)
カテゴリ:ホラー映画
今年のお正月映画、一番の目玉は「AVP2 エイリアンズVS. プレデター」でし、個人的には。あとの映画は、DVDが出るまで待っていてもいいかな。さてさて、前作「エイリアンVS. プレデター(2004)」に引き続き、二大宇宙モンスターの激突。スピーディーなテンポの展開に乗って軽快に見ていましたが、納得のいかない場面が。そうすると、気分も失速……。
「AVP2 エイリアンズVS. プレデター(2007)」 監督:コリン・ストラウス グレッグ・ストラウス 出演:ダラス:スティーヴン・パスクール ケリー: レイコ・エイルスワース 「エイリアン(1979)」を見たのは、私が長旅から帰ってきた直後でした。静かな始まりに、疲れが出て、映画館の暗闇の中で眠りそうになりました。ところが、ある惑星に降り立った宇宙船のクルーが、エッグチェンバー(巨大な卵)を覗いたら、顔面にいきなりからフェイスハガーがとびつきました。そこでぱっちり目が覚めてしまいました。もう眠ってなんかいられません。スクリーンに衝撃的なシーンが連続して展開するのです。まさにエポックメイキングというにふさわしい映画で、その後「エイリアン」に影響を受けた、またはパクった映画は数知れず。「プレデター(1987)」も、そのうちの一本でした。 残虐無比な宇宙の“完全生物”「エイリアン」が、宇宙船という密室の中で人間を襲います。逃げ場のない展開に、最後まで緊張感が抜けません。それに比べると同じ宇宙生物でありながら「プレデター」は闘いの場が地球のジャングル、オープンエアなのです。人間側は、逃げようと思えば逃げることができる。「エイリアン」に比べれば、ゆるい展開です。そこを補うために、筋肉ヒーロー、アーノルド・シュワルツェネッガーを主役に配して、プレデターとスーパーヒーローのバトルにしたのでした。 片や、人間などを捕食、殺害する事を目的に生存・繁殖するエイリアン、こなた知性、文明をもちながら、危険な闘い、狩猟に生き甲斐を見いだすプレデター。今回は、アメリカの田舎町を舞台に、住民を巻き込んで死闘を繰り広げます。 前作の南極地下ピラミッドの闘いは、プレデター側の勝利に終わったかに見えたが、じつは体内にエイリアンが寄生していた。胸部を食い破って出現したのが、プレデターのDNAを備えたエイリアン、“プレデリアン”だ。 しかし、暗闇の場面が多いし、特にセリフ等による説明もないからプレデリアンがよくわからないぞ。エイリアンの造形に、プレデターの特徴的な部分が加わったのがプレデリアン。たまたま予備知識があったからわかったけれど、前の席で見ていたオヤジさんには、きっとプレデターとプレデリアンとエイリアンの区別がつかなかっただろう(と余計な心配をしてしまいました)。 プレデターは知性をもち、地球人以上の高度な文明社会に生きている。誤って地球に逃げ込んだプレデリアンやエイリアンを始末するために、クリーナー・プレデターが送り込まれた。しかし、好戦的な宇宙人プレデターは、ウルトラマンやスーパーマンのように、縁もゆかりもない他人の星を守るようなお人好しではない。自分に向かってくる相手は、抹殺して生皮を剥ぎ、勝利の印にぶら下げる。 この手の映画には、血が飛び散り、人体が破壊される場面などが当然登場します。そのような残酷シーン、ときにはグロいとしか形容できない描写に関しては、決して否定するものではありません。けれど、考えるべき点があるのではないか。 映画「エイリアン」において、ひとりのクルーの体内にエイリアンの幼体が産みつけられ、その胸部を食い破って寄生生物(チェストバスター)が出現します。これは度肝を抜かれるシーンでした。しかし、許せます。それはエイリアンの恐ろしさを表現しているからです。成体が感情もなく殺戮に明け暮れるだけでなく、生まれ育つ過程から、他の生物を食い物にしている徹底ぶりが素晴らしい。意表をついた登場シーンも、映画をおもしろくする工夫が感じられます。 ところが、今回、そのチェストバスターが、いたいけな少年に寄生し、彼の胸を食い破って出てきます。これはやめてほしい。それと、プレデリアンが、口移しで病院の妊婦に幼体を注入し、膨らんだお腹を食い破ってチェストバスターが顔を出すシーンもありました。さらに見るに堪えません。確かにエイリアンの怖さを表現しているともいえますが、そこまでしなくても他の方法があるはずです。 アルフレッド・ヒッチコック監督は、「サボタージュ(1936)」の中で、子供を爆死させたことがありました。スパイが妻の弟に爆弾を持たせて指定の場所に生かせる。少年は寄り道していて爆弾が破裂してしまう。少年の無邪気さと爆発時刻に近づく時計とを対比させて、サスペンスは高まりました。しかし、ヒッチコックは「失敗だった」と述べています。つまり、映画といえども、子供を出汁にし、犠牲にしたことを後悔したのです。 そのように、例え映画的には見せ場となっても、道義的にちょっと待てよ、ということがあるのです。映画のような虚構の世界と現実とは異なるものですから、映画の中でバンバン拳銃を撃ち合って、バタバタ人が死んだとしても許されます。私たちは、映画と現実は区別して考えなければいけません。けれど、子供や妊婦を惨殺するような映像が、安易に用いられるのは悲惨です。バイオレンス・エンターテインメントの枠内には収まりません。戦争映画などで、戦争における残虐非道ぶりを描くために、意図的にそういう場面をつくることとは意味がちがいます。 子供や妊婦は、どんなことがあっても大切にしなければなりません。映画の中で、子供や妊婦が惨殺されたからといって、人々がそれを真似することはないでしょう。でも、子供や妊婦は、現実でも、虚構の世界でもいたわることが必要です。子供や妊婦は、例え凶暴な怪物に襲われても、周囲が犠牲になっても助ける、または危機一髪のところで幸運にも助かる。ああ、助かってよかったね。そんな描き方をしてほしいと思います。例えリアリティに欠けることであったとしても。 「プレデター2(1990)」では、殺戮を繰り返すプレデターが、目の前の女性をスキャンしたら妊娠しているのが分かったので、殺さなかったというエピソードがありました。そうすると、見ている方はホッとするんですよね。 人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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