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テーマ:DVD映画鑑賞(14215)
カテゴリ:ホラー映画
飛行機は、ただでさえ恐い。高いところは安心できないし、落ちたら、まず助からないからです。搭乗する前は、もしかしたらこれで人生は終わるかもしれないと思います。離陸し、上昇するときの角度と圧力は、とても不安です。飛行中は、孤立無援の密室と化します。船のように、救命艇はありません。どこへも出られないのです。エアポケットに入ってガクンと機体が下がれば、飛行機の頼りなさをいやでも味わってしまう。そして、着陸、祈りと緊張で吐きそうになります。
もし、天気が悪かったりしたら、安全のために、座席でシートベルトをして、おとなしくしていなければなりません。無事目的地に到着するまで、退屈でも、体を動かしたくなっても、じっと静かに耐えていなければならないのです。 飛行機には、恐怖の状況があるから、エア・パニックもの映画ができるのです。その上、そんなデリケートな場所へ、大量の毒蛇を解き放つやつがいる(「スネーク・フライト(2006)」)。かと思ったら、今度は飛行機の中で、ゾンビが襲ってきました!(「デッド・フライト」)。飛行機とゾンビ、恐いものをかけあわせると、目論見通り恐いのか。それとも“屋上屋を架す”の例えにあるように、アイデア倒れの駄作になるのか。 ジョージ・A・ロメロの「Night of the Living Dead(1968)」を原型とし、以来夥しい数のゾンビ映画が作られ続けています。それは、なぜなのか。ゾンビは、扱いやすいモンスターだからなのです。もちろん、映画をつくる人間にとってという意味です。映画でゾンビに襲われる側の人間には、大変やっかいな存在です。 扱いやすいというのは、まず、噛まれることにより増殖します。ゾンビには、フランケンシュタインの怪物、狼男、ドラキュラのように、個のスターモンスターはいません。名もなきゾンビの大群が蠢くばかり。 ゾンビに噛まれることによって、生身の人間もゾンビになってしまう。そういうお約束。蛇に咬まれて毒が回るのと似ていなくもない。普通の感覚の人間なら、ゾンビにはなりたくない。徐々に死に向かい、さらに蘇ったら、血だらけで、場合によっては頭が割れていたり、顔が欠けていたりする状態で動き回らなければならない。嫌悪感がいっぱいです。ここがゾンビの恐怖点なわけだ。 吸血鬼も、感染します。吸血鬼は全身の血を吸われなければ、新たに吸血鬼にはなりません。これもお約束。けれど、ゾンビは、一口噛みつかれるだけでうつってしまうのです。それから、吸血鬼には、十字架や聖水、太陽の光などの弱点があります。完全に息の根を止めるためには、心臓に杭を打ち込み、首と胴体を切り離した上で、口の中にニンニクを詰めるという手続きが必要です(映画では、面倒なため、ここまではやりませんが)。それに対して、ゾンビは頭や頸椎に損傷を与えれば死にます。ぶっ叩いたり、銃でふっとばせばいいのです。それでもつぎからつぎへと襲ってきます。飛行機に乗り合わせても、すぐに効果を発揮します。一人のゾンビがいれば、それに襲われて乗客は続々とゾンビになります。大量の蛇を持ち込む必要もないわけです。ね、ゾンビは手間いらずでしょ。 悪天候の中を飛ぶ旅客機にゾンビが出現したら、これは大変。飛行機が落ちる心配だけでなく、逃げ場のないところで乗客が襲われ、ゾンビは増殖する一方なのですから。 そんな状況でも、とにかく人間は生き延びなければなりません。「ゾンビ(1978)」や「バイオハザード・シリーズ(2002~2007)」などでは、拳銃やショットガンなどをバンバンぶっ放して、ゾンビの頭部をふっとばしていきます。とりあえず相手はゾンビですから、罪悪感もなく、気楽にドンドン銃弾を撃ち込んでいきます。もとはといえば、人間。変わり果てたけれど、人間の姿はとどめています。なのにだれもかれも、スイカ割りのスイカのように、頭が爆発させられるのです。ある意味、やりたい放題だね。 この「デッド・フライト」には、刑事と保安局員が乗り合わせていました。だから、幸いなことに、機内へ拳銃が持ち込めたのですよ。そして、拳銃を乱射して、ゾンビ化した乗客、乗員を破壊します。って、ちょっと待てよ。確か飛行機の中で銃を撃つのは、大変危険なはず。「007ゴールドフィンガー(1964)」において、飛行中の機内で銃を突きつけられたジェームズ・ボンドが「弾丸がオレを貫通して機体に穴を開けたら、気圧が変化して乗っている者は機外にふっとばされてしまうぜ」とかなんとか言っていました。実際に、映画の終わり近くに、もう一度飛行機のシーンがありました。飛行中、悪漢ゴールドフィンガーとジェームズ・ボンドが争う中で銃弾が窓を割り、ゴールドフィンガーは外へ吸い出されてしまいました。 子供の頃、この「007ゴールドフィンガー」を見て、リアリティについて学んだものです。荒唐無稽、非現実的な映画の中でも、一定の自然法則は無視してはならない、なんでもありにしたら、返ってつまらなくなるのだ、と。だから、この映画以後、密閉して飛んでいる飛行機の中で発砲するシーンはありませんでした。 その常識を覆したのが「デッド・フライト」です。そんなことが許されていいのでしょうか。いいのです。刑事や保安局員が撃った弾丸は、必ずゾンビに当たっていて、ほかにそれることはありませんでした。銃弾が、飛行機の壁や窓を破らなければ問題はありません。それと、乗客、乗務員の誰も「撃ってはいけない。飛行機に穴が開いたらどうするんだ」などとは言いません。エレベーターなどの密閉された空間で、もし放屁したとして、居合わせた人たちが感づいても、だれも言い出さなかったら、それはなかったことになるのです。さらに、乗降ドアを開けることにより、気圧が変わってゾンビが機外へ放り出されるというシーンがちゃんとあります。わかっていないのではないんだな。 飛行機(エアパニック)×ゾンビ、これを屋上屋とせず、おもしろくするためには、これまでにあったお約束に目を向けないことも必要でした。「デッド・フライト」は、固定観念に縛られない、痛快な映画といえるでしょう。 藍昂太郎会員制ファンクラブログ 人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 10, 2008 07:03:13 AM
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