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カテゴリ:ホラー映画
「ワン・ミス・コール」は、日本のホラー映画「着信アリ」のアメリカ版リメイクです。ストーリー的には、同じ展開といっていいでしょう。
「着信アリ」と「ワン・ミス・コール」の基本設定は、以下の通り。ケータイに死の予告電話が入ります。なんと自分の断末魔の声で、電話がかかってくるのです。着信時間は、数日後だったり、数分後だったり。つまり、これから訪れる死の瞬間が、中継されてくるというわけ。死の予告電話が入ると、必ずその通りに死んでしまいます。そして、死んだ人のケータイから、そこに登録してある電話を選んで、次の人に死の予告電話が行くのです。 人は、自分のところに死の予告電話がかかってきちゃったとしたら、そんなのあるわけないだろと思います。でも、実際につぎつぎに事例が増えていく。どうやら本当に死から逃れられないらしい。どうしたらいいんだ。この、ジタバタした悲痛感を丹念に描くことで、恐怖感は増すのです。オリジナルの日本版は、そうしていました。 で、アメリカ版はどうかというと、予告電話を受けた人は、死者の姿みたいなものが見えちゃうんです。ガイコツ顔というかゾンビ顔というか、普通は見えないものが見えるようになります。 これは、恐怖感を視覚的に表現したのでしょうが、ここに大きな違いがあると思います。 「死の予告電話」で感じる恐怖とは、死が迫っていることをつきつけられること。そんなバカな話はない、なんとか逃れられないか、回避できないか、などといった葛藤が、観客のエモーションを揺さぶります。死にたくない。けれど人間にはどうしようもない超自然的な力で、死が襲ってくるらしい。それでも死から逃れようと頑張る。頑張っても、予告電話通りになってしまう。ここが恐い。 ガイコツ顔やゾンビ顔が見えるということは、死が訪れることを決定づけてしまいます。つまりその時点で、突き落とされてしまうのです。観客にとって、登場人物が確実に死に向かっていると分かってしまう。もちろんそれも恐いです。恐いけど、かなりストレート、単純とはいえまいか。 日本版は、死の予告電話だけで、ほかには何も情報がありません。アメリカ版は、本来見えないものが見えるという付加情報があります。 映画を見ている者にとっても登場人物にとっても、情報がないのは、突き放されたような気がして、余計に恐いと思うのですが、いかがでしょう。 人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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