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November 16, 2008
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カテゴリ:ホラー映画
 ボクは、小説を読むのが苦手でした。それに反して、映画は大好きでした。なぜかというと、文字で書かれた物語は、頭の中で映像に置き換えなければなりません。しかし、映画は、自分で置き換える作業をしなくても映像を見せてくれるので分かりやすい。
 頭の中で映像化するとき、ボクとしては、それが正しい映像なのか、そうでないかがとても気かかるのです。いってみれば、算数や国語の練習問題をして、正答か誤答かが気になるのと同じことです。練習問題の場合は、ドリル帳の巻末を見て答え合わせをします。小説の場合は、映画を見ることによって答え合わせをするのです。

 映画「真木栗ノ穴」は、山本亜紀子が書いた小説「穴」の映画化です。
 小説の方は、読み始めたら、一気にラストまで行ってしまいました。だから、映画を見るのがとても楽しみでした。果たして、ボクが想像で映像化したものは、正しかったのかどうなのか。

 週刊誌の連続官能小説の書き手がいなくなり、売れない作家真木栗勉が穴埋めに起用されます。ボロアパートで小説を執筆していると、壁の穴を発見します。真木栗は、隣室の若い男が女を連れ込む様子を覗き見ながら、穴を題材に官能小説をしたためました。さらに、もう一方の隣に美しい女性佐緒里が引っ越してきました。真木栗は、隣室との間の壁に空いた穴から、彼女の様子を覗き見る。そして、佐緒里と彼女の部屋を訪れる男たちのみだらな様子を想像して小説に書くと、驚いたことにその通りのことが起きてしまうのでした。しかし、佐緒里とは……。

 ストーリー的には、小説と映画に違いはありません。しかし、映画を見てみると、敢えて小説とは異なる設定にしてあるところがありました。例えば、真木栗が暮らすアパートです。小説では、外階段を上がり、外廊下を通って各部屋に入ることになっています。また、小説は、アパートの各部屋にはトイレがついていて、トイレ掃除は真木栗のストレス解消になっていました。でも、映画は共同トイレでした。
 これに対して、映画では、内階段を上り、内側から各部屋に入ります。そのため、小説において、真木栗と佐緒里が、アパートの廊下から花火を見る場面が、映画の方は、丘の上から花火を見る場面に変わっていました。また、トイレ掃除については、小説では何度かそのエピソードが出てきますが、映画では一回だけでした。

 この内階段、内廊下、共同トイレについては、映像で見たときに、建物の古さを実感させました。まさに建て壊し寸前の有様です。
 ボクが頭の中で想像していた外階段、外廊下、戸別トイレのアパートも、確かに安っぽく、うらぶれたものでした。でも、外階段、外廊下、戸別トイレのアパートは、日本におけるプライバシーについての考えが一段階進んだ時点での建物であると思います。年代的に見たとき、内階段、内廊下、共同トイレの方が古いですね。今や、この手のアパートは絶滅寸前といってもいいでしょう。プライバシーやそのほかにも快適環境についての考えが進んだ価値観から見れば、内階段、内廊下、共同トイレは、猥雑であり、すでに異世界を感じさせます。いかにも“(両手を下向きに垂れ下げたものが)出る”にふさわしいアパートです。
 
 小説と映画の違いはまだあります。小説では、真木栗が置き薬の「胃薬」を常用するところが、映画では「頭痛薬」になっていました。また、真木栗の田舎から送られてくるものが、小説では「マスカット」なのに映画では「梅酒」でした。この違いを考察するのも面白いと思いますが、中でも、とても印象的だったのは“引き寄せる”という言葉です。
 引っ越し先を探している佐緒里に、不動産屋が言います。「今はこの物件しかない。1年で取り壊されること、そして、このアパートは“引き寄せる”ことを承知ほしい」と。
 小説には、“引き寄せる”との記述はありませんでした。そこでは、なぜ清楚で可憐な佐緒里が、霊的な存在となった後で男たちと淫らな関係になるのか、自分で考えを巡らす必要がありました。でも、映画で、“引き寄せる”との言葉を聞いたとき、こちら側と向こう側には区別があり、向こう側とは、こちら側の理屈をこえた世界だと納得することができました。つまり、清楚で可憐な佐緒里はこちら側の住人であり、淫らな佐緒里は向こう側にいってしまった存在なのだと。淫らさが佐緒里の本性とか言うのではありません。向こう側の住人は霊的なのです。こちら側の理屈は通用しない恐怖の存在なのです。

 しかし、映画の中の佐緒里には、小説の中の佐緒里ほど際どい場面がありません。清楚で可憐な女優さんが、激しい場面を演じることはなかなかできないでしょう。これは、予想できたことでした。
 小説と映画に共通して、佐緒里のほかに浅香成美という女性が登場します。彼女は、雑誌の編集者で、真木栗の担当です。小説の中では、東大卒の才媛として描かれています。容姿の方は、それなりなのかな。でも、映画にしたときには、きっと美しい女優が出てくるだろうと思っていましたが、やはりこちらも予想があたりました。

 浅香成美役は、木下あゆ美さんという方。この女優さん、どこかで見たことがあるなあ、印象的な顔立ちなのだけれども、と考えていて、思い当たりました。スーパーヒーロー「特捜戦隊デカレンジャー(2004)」のデカイエロー、礼紋茉莉花役と、伝奇格闘映画「マスター・オブ・サンダー 決戦!!封魔龍虎伝(2006)」のアユミ役でした。こういう経歴の方が力を発揮していると、とても嬉しいです。

 さて、小説と映画の答え合わせの結果は、どちらもハナマルでした。

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Last updated  November 16, 2008 06:17:52 AM
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