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テーマ:最近観た映画。(40136)
カテゴリ:SF映画
オリジナル版は「地球の静止する日(1951)」。そして今回のリメイク版が「地球が静止する日」と、「の」と「が」がちがうわけですね。
かつて旧作の「遊星よりの物体X(1951)」が、新作では「遊星からの物体X(1982)」となった例がありました。それと同じように日本語のタイトルをちょっと変えてみたのですね。 「遊星よりの物体X」と「地球の静止する日」は、両作共に1951年に公開されています。まだSFが子供向き活劇と見られていた時代に、「物体X」はハワード・ホークス、「静止する日」がロバート・ワイズと、二大監督が後世に残る作品を撮影しているのも何かの縁なのでしょうか。 当時、SFは、ホラーとの境界もあいまいでした。宇宙人とかロボットなどは、ホラー映画のモンスターと同じような扱いだったのです。「物体X」においては、図体はフランケンシュタインの怪物のようでありながら、知力腕力共に人間より優れ、動物の血を吸うという「物体」が宇宙から飛来しました。 そんな状況の中で「地球の静止する日」は、新しいタイプの宇宙人を登場させました。それまで宇宙人といえば地球を襲ってくるという恐怖のイメージでした。しかし、「静止する日」の宇宙人クラトゥは、「地球上の核兵器や戦争は、こののち宇宙の平和も脅かしかねない」として、地球人に忠告しにきました。映画界初の平和の使者、友好的な宇宙人だったのです。 しかし、この平和の使者、友好的な宇宙人というパターンも、次第に目新しさはなくなっていきます。新東宝の「スーパージャイアンツ・シリーズ(1957~1959)」も、宇宙の平和のために、地球の原水爆実験中止を呼びかける使者として、宇宙人議会からスーパージャイアンツが派遣されたというお話でした。 新作の「地球が静止する日」では、クラトゥが「危機に瀕している地球を救う唯一の方法は、人類を滅ぼすこと」と述べます。しかし、すでに日本のスーパーヒーローもので、何度も宇宙人の口からこの理由が言われてきています。それに対して地球人は「我々も努力している」。そしてラストは決まって「これからは、本気で考え直して地球を守っていかなければならない」と固く決意する、もう何十年も前から同じことしてるやんけ。 さて、この映画で困ったところは、キアヌ・リーブス=クラトゥをいい人として描かなければならないところです。スーパーヒーローものでは、地球環境のために人類を滅ぼそうとする宇宙人とバトルになります。宇宙人は人類の敵だからです。人類を滅ぼすためには、宇宙人は冷血漢でなければならない。けれど、スター、キアヌ・リーブス=クラトゥを人類と敵対する存在としては描けません。キアヌ・リーブス=クラトゥは妙に優しいのです。だって、地球上の動植物を人類から保護しちゃおうっていうNPO的ボランティア宇宙人ですから。 よく本来の自然状態を保護するために、外来種の動植物等を駆除しようって話があります。そのとき、植物だったらまだ気楽に引っこ抜いたりできますが、魚や動物となると気が引けるもの。ましてや人間となると、空想の話の中だってやりにくい。 オリジナル「地球の静止する日」でクラトゥがやってきた理由は、「地球上の核兵器や戦争は、こののち宇宙の平和も脅かしかねない」。確かに宇宙人にしてみれば、自分たちの安全を守るためには地球人をほっとけません。けれど今回の「地球が静止する日」でクラトゥが語るのは「これほど様々な生き物が生息する星は宇宙でも珍しい。だから保護しなければならない。そのために人類を排除する」。これを聞いとき、「ほっとけや!」と言いたくなってしまいました。スミマセン。 人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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