|
テーマ:DVD映画鑑賞(14215)
カテゴリ:ホラー映画
女優霊は、雰囲気で恐さを見せようと試みられたと考える。 撮影所のセットで、撮影したフィルムの中に、そしてロケバスでも、怪異が起こる。 これらの演出は、じわっ、じわじわっとくる。 だが、クライマックスは何だ。突然襲いかかる霊は、それまでのトーンと合わないと感じた。 この映画では、霊についての説明はない。正体不明の脅威を味わわせたかったのだろう。 その場合、クライマックスは大きなアクションより、すーっと吸い込まれるような殺され方の方が名状しがたい余韻が残ると思のだが。 じわじわとボディブローを効かせて、最後にとどめのストレートパンチという意図がわからなくもない。 しかし、とどめの一発のつもりが、オーバーアクションのために相手が見極めてクリーンヒットしなかった、ということもある。 ジャブやボディブローを的確に打ち続けることで、相手はダメージが蓄積し、いつの間にか戦闘不能状態に陥る、っていう方が気持ち的には重く感じるだろう。 霊が、はっきりと姿を現し、猛ラッシュを仕掛けてくるということは、そこに強烈なパワーを感じる。ぐぅっと耐えてきたものを一気に噴出した感じだ。であるならば、映画を見ているこちらとしては、そのパワーのみなもととなる怨念のわけについて知りたくなる。 四谷怪談のお岩は伊右衛門に深い怨みを抱いた。見る側はそこが分かっているから、化けて出たお岩の復讐が恐い。 『リング(1998)』の貞子も、『呪怨(2003)』の伽椰子も、強い怨念を抱いていることが示されている。それが裏付けになっているから、祟りとも言うべきパワーの表出がとても恐いのだ。 作用の強いものには、それに見合う説得力が必要だと思う。 最後まで霊の説明をせず、見ているものの想像にゆだねるのであれば、強烈な刺激ではなく、どこまでも幻想的であった方がいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ホラー映画] カテゴリの最新記事
|