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テーマ:DVD映画鑑賞(14215)
カテゴリ:ホラー映画
多感な時期に『帰ってきたドラキュラ』を見た。なんと『恐竜グワンジ』との二本立てだった。至福の映画体験にどっぷりと浸ったものだ。 映画館に入る前は、『帰って来たドラキュラ』(当時は「来た」だった)の恐怖に耐えられるかどうかドキドキした。お化け屋敷の入り口に立ったときと同じような心境なわけだ。 しかし、実際に見てみると、心胆を寒からしめるような恐さはなかった。 ぼくの「恐い映画」の原体験は、「四谷怪談」である。お岩さんが崩れた容貌で、怨みを抱いて化けて出る、など「四谷怪談」は恐さの神髄だ。 『帰ってきたドラキュラ』が「四谷怪談」みたいに恐かったかどうかというと、全然そんなことはなかった。でも、恐さとは別に、ホラー映画のおもしろさを感じたのだった。一般人の青年が、恋人を救うために魔力をもつドラキュラに立ち向かう、多感な時期だからその姿がとてもかっこよく映った。それに刺激されて、吸血鬼と闘うストーリーをつくったほどだ。 今回何十年ぶりかでこの映画を見直した。シリーズ四作目で、ドラキュラは三度目の復活を果たした。そのドラキュラの顔は、ライティングなどによっておっかなかった。かつてそう感じなかったのは、お岩さんのような顔が恐い顔との思いが強かったからだろう。 再確認したのは、活劇としてのおもしろさだった。第一作『吸血鬼ドラキュラ(1958)』は、ホラー映画の名匠テレンス・フィッシャーによって、おどろおどろしさと同時に胸のすくような軽快、スリリングなアクションが展開された。 る本作は、監督はフレディ・フランシスに変わったものの、活劇の雰囲気は変わらず流れていた。ヴァン・ヘルシングのようなプロの吸血鬼ハンターこそ登場しないが、ドラキュラに襲われた若い女性を巡って、恋人の青年らがドラキュラと攻防、追撃を繰り広げる。そして、ドラキュラは、必ず一旦退治される。 そして、もうひとつ。かつて見たときに、ストーリー的に「?」「?」と思ったところがあった。腑に落ちなかったのだ。そこんところは、やっぱりねじれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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