今は短期間介護もなんとか終わってアパートに戻っています。
ホームから一時帰宅した父親が、以前よりも寝たきり度が
レベルMAX100になっていて、一人で食事も出来ないし一人で
寝返りをすることもできないし、ベッドに座らせれば支えてないと
べちゃーーって倒れてしまって、本当に24時間体制で介護しなければ
ならなくなったことに、わかっていてもすごくショックだった。
それなのに、父親は、ふとんのかけ方ひとつ自分の思うとおりに私たちが
動いてくれないことにいらだって、罵声を浴びせて何度ケンカしたことか。
いっそ、はよ死ね、くそじじい。と何回思ったことか。
それでも、ホームに帰る日の朝、朝食をとった後体調が悪かったのか
父親が仰向けに寝たまま嘔吐してしまった。
わたしは途中から部屋に行ったので、父親が嘔吐してる最中を発見した。
びっくりして、父親のそばに駆け寄りとっさに喉に嘔吐物が
詰まらないように、なんとか横向けにして背中をさすった。
しばらくして落ち着いたので、ほっとした。
何事もなくてよかった。
で、しばらくして思ったの。
よかった、わたし鬼じゃない。って。
じいさんの世話をして、罵声を浴びせられるのは心底しんどい。
だから、死んでしまえって思ったけど。
でも、こうゆう時は助けようと必死になる自分でほっとした。
悪口を言い合うけど、そのときだけ。
本当は家族を愛している。
思いが通じないから、腹が立つんだと思う。
でも、心底死ねばいい、って思ってないんだ。ってことにほっとした。
よしながふみさんのコミックに。
フラワー・オブ・ライフってあるよね。
どの巻数にこのシーンが入ってるか忘れたけど。
主人公の春太郎が小言を言う姉に向かって『死ね!』と叫ぶ。
春太郎は以前白血病を患って、長い入院生活で常に死と隣り合わせだった。
その彼に骨髄移植をしてくれたのが姉だった。
姉には感謝しても尽きることはないはずで
死という言葉は彼にとって簡単に言える言葉ではなかった筈。
それなのに、完治して日常の生活に戻って大事な姉に『死ね!』と
罵声を浴びせてしまった春太郎。
しかし、翌朝春太郎が気まずい思いでいると、姉は既に台所に立っていて
いつものとおり彼に朝食を用意してくれていた。
そしていつも通りにそれを食べる春太郎。
その日常が、家族であり心の気まずさをお互い無言でナシにできる術なのだ。
それは家族だからこその愛情なんだと思う。
なかった事にできるのも、お互いを思う愛情があるからだ。
父親はホームに戻る日、車の中からあまり動かない左手を上げて振ってくれた。
だからわたしも手を振った。
来週また父親の居るホームに娘の卒業証書を見せに会いに行こう。
そして、またこの気持ちをお互い忘れて、ケンカをしてこよう。
それでも、いいさ。家族だもん。