「牛伏寺」ってなんて読むんだ?
こんにちは。夕べはかなり凍みましたね?こちらはあまりの寒さに。。。車のフロントガラスが真っ白けっけで前が見えない信州伊那谷のたまごやさんの木村礼です。今年はとくに暖かいと思って油断をすると。。。急にまた冷えたりするので。。。お風邪などおめしになりませぬように~~~気をつけてくださいね。「牛伏寺ってなんて読むの???」以前から、今年は前厄だ。。。と書いておりましたが、先日、「父ちゃん。。。牛伏寺いくか?」「前厄だし、1月も終わっちゃうから」「そうかぁ。。。行ってこないとなぁ~」そんなに信心深くはないのですが。。。後になって「あのとき行っておけば良かったぁ~」とは思いたくないなと思って。。。他力本願とはいうものの。。。ちょうど子供を連れて行くには良い機会だと思いまして、ここから車で1時間半ほどの、「牛伏寺」へ。。。んっ?なんて読むのかって?「うしふせてら?」「うしふせデラ?」正解は。。。「ごふくじ」この牛伏寺とは。。。牛伏寺(ごふくじ)は、長野県松本市内田にある真言宗智山派の寺院。山号は金峯山(きんぽうざん)。本尊は十一面観音。鉢伏山(1,929メートル)の西側中腹に位置する。古くから修験道の寺として知られ、県下で屈指の規模と文化財を誇る寺院である。寺伝では聖徳太子が42歳の時に自ら刻んだ観音像を本尊として鉢伏山に安置したのが始まりという。寺名については、756年(天平勝宝7年)、唐からもたらされた大般若経600巻を善光寺へ奉納する途中、経典を運んでいた2頭の牛が倒れたことから「牛伏寺」の名が付いたという。なお、参道途中に建つ牛堂には2頭の牛が祀られている。以上はあくまでも伝承であって、牛伏寺創建の時期や事情については確たる史料がなく、鎌倉時代以前の沿革は定かでない。牛伏寺が位置する鉢伏山の山頂には牛伏権現と称して蔵王権現を祀っており、元来、山岳修行、修験道の山だったと思われる。寺はもとは裏山に位置し、現在地に移ったのは1534年(天文3年)である。1612年(慶長17年)と1796年(寛政8年)大火で堂宇が焼失し、現存する建物はその後の再建である。と。。。書くと長いので、、、ウンチクはウィキに任せて。。。長い階段を上っていくと。。。本当はこれ、、、まだ4分の1ほど。。。もっともっと長いのぉ~~15分くらいあるいてお寺に到着。いつもはすぐにへばって抱っこをせがむ2歳のボコも階段を見事に登り切りました♪寒い日だったので、あまり人もいないかなぁ~~と思ったところが、意外や意外。。。結構いるいる。門をくぐってみると。。。「牛伏寺」ならぬ「牛が伏せていた。。。」普通お寺というと、狛犬ですが、、、ここでは、2頭の牛が左右に鎮座しておわす。特に、牛伏寺は「厄除け」で有名で、この日もご祈祷の受付。僕も前厄なのでとおもっていったものの。。。その額にびっくり。。。7千円以上からと。。。ここは小市民。。。あえなく挫折。。。お線香を買って、ご焼香。「頭がよくなりますように~~~」って2歳のボコに。。。「いいこいいことやっているところ。。。」よく考えてみれば、、、前回来た、3年前はこのボコ。。。観音様?神様?だったので、、、不思議なものですね~~~ぇ。ただ調子こいて。。。お線香をつけるじゃなくて。。。ナメはじめまして。。。「なにしてるの!!!」と怒られてあえなくもう1束。。。買うハメに。。。やっぱりお線香の煙の御利益はナシか。。。ゴ~~ン。。。届くかなぁ、、、といいながらも。。。5歳のボコ。。。僕が挑戦したら、どでかい音で、、、「ヤメテ~~~~」と(激疲れたので。。。ひと休み「おやき美味しいねぇ~~~」と5歳のボコ「これ食べるぅ~~~」とは2歳のボコ厄除け饅頭を手に。。。真剣な眼差し。。。どうも同じ姉妹でも性格がこうも違うと。。。まだ厄除け饅頭が気になるボコ。。。こちらは野沢菜のおやき。こちらはクルミ味噌のおやき。ちなみにもう1種類があずき。あずきはありがちなので省略(笑牛伏寺、山の中腹にあり、今が激寒ということもあり、なんと石灯籠には立派な氷が。。。みんながお賽銭を氷にくっつけて。。。金銀綺麗。。。以上。牛伏寺レポートでした。明日は、出張のため、更新は旅先からになります。ではまた明日ぁ~~~~~~。