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カテゴリ:本
昨日のアミの続きです。 『アミ 小さな宇宙人』『もどってきたアミ』『アミ 3度目の約束』と 話が進むにつれて、それに伴う意識レベル、 精神レベルも高くなってゆきます。 主人公のペドゥリートが、どんどん高いレベルに行くのが 読んでいる人たちもわかります。 でも、なかなか一足飛びにはいかないものですよね。 最初にペドゥリートが、彼のおばあさんと、 アミを引き合わせた時 おばあさんは、アミに対して 『ありがとう、アミ。私の孫の師でいてくれて」 と言います。 ところが、ペドゥリートは、 「違うよ。アミはぼくの師ではなくて、友達なんだよ」 と答えるのです。 そうするとアミは、ちらっとおばあさんを見て おばあさんは、それを見て何かを察して 「そうだったね。あたしの孫のそんなにもいい友達でいてくれて ありがとう」 と言い換えるのです。 この場面は、ペドリゥートが、アミを師であるということを 認識するほど、まだ精神レベルが高いわけではないことを 示しているようです。 (反対におばあさんの精神レベルの高さと ペドゥリートへの想いがよくわかるお話ですが) もしくは、アミが意図的に二人の精神レベルが 離れているようには見せず、 あくまで友人としてのコミュニケーションを 図っているということもあるでしょう。 この物語の中では、アミは、 高度な精神性、高い愛のレベルを持っている銀河連合と (地球人のような)まだ精神レベルが低い未開人との間を とりもつ役割を担っているということになっています。 例えば、A さんとCさんがいて Aさんが、Cさんよりずっと高い精神レベルにいた場合 Cさんにとっては、あまり学びにならない場合が 多いのですよね。 二人のレベルが、あまりにもかけ離れていると、Cさんは、 Aさんがどれほどのレベルにいるのかを認識できないし Aさんは、あえてそれをCさんにわかるように説明しないので Cさんにとっては、ピンと来ないことがあるのです。 でも、ここにBさんという二人の中間地点にいる人が存在すると Cさんにとって、大きな学びとなります。 精神レベルがそれほど高くないところにいる時は とにかく見た感じや外見で判断してしまうんだなあと。 アミは、見かけは小さな子どもの宇宙人だし とてもフレンドリーなので ペドゥリートにとっては、自分よりも精神レベルが高いことは わかっていても、まだそれほど上だとは認識できないのでしょう。 外見で惑わされてしまうというのは まだまだ私たちが進化できていないということですよね。 「アミ、3度めの約束」の中で ある進化した星で、「美人コンテスト」と称して、 心の内面の美しさを見せ合うコンテストというのがあるのですが、 とてもおもしろい発想だなあと♪ 私たちが、外見や見かけを全くとらわらず 内面の魂の輝きだけで、お互いを見ることができるようになったら 世界は随分と変わることでしょうね。 ちょっと話は変わりますが 一昨年、マヤの長老、ドンアレハンドロに会うために、 日本へ行って、富士の聖地で初めて彼を見た時 「この方が、マヤ13代目の長老で マヤの23の部族、440人の長老たちをを総括する人なの~?」 と正直、最初は、ちょっと驚きました。 ものすごく例えが悪くて申し訳ないけど、 NYのレストランでお皿を洗っているメキシカンのおじさんとして このマヤの長老が働いていたとしても、 誰も気づかないかもしれません それくらい見た目は普通の方なのです。 (ちなみにその時の様子は、この方のブログをどうぞ) でも、やはり本当に素晴らしい方でした。 ダライラマ法王もそうですが、 こういう精神性の高い人に限って 話すとごく普通の気さくなおじさんみたいなんですよね 本当に人は見た目ではわからないということを つくづく感じました。 外見ではなく、その人の深いところにある美しさを 認識できるようになることこそ 本当にその人の精神レベルが上がったという 証拠なのでしょう。 私も「内面美人コンテスト」に出場できるぐらいに なったらいいな~ (今は、まだお見せできない?) アミシリーズについて、まだまだ書きたいことがたくさんあるので しばらく続けるかも~ (アミについては、書き出すととまらなくなることはわかっていたのですけどね) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月10日 12時09分03秒
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