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カテゴリ:ヒーリング
以前は、悟りを開いた人や覚醒した人というのは、 覚醒していない人とは、常に全く違う意識状態でいるものとばかり思っていました。 でも、ここ数年、私自身が何度かそういう意識状態を経験したことで いくらその瞬間には覚醒していたとしても またいつもの意識に戻れば、マインドに戻ってしまうということが よくわかります。 その意識状態のままでは、私たちは食べることさえもできなくなるし この次元では生きていくことはできないので それは、この肉体を持って生まれてきている以上、仕方のないこと。 (もしかすると、どこかの山奥の聖人なんかで、その意識状態だけで 生きている人もいるのかもしれませんが) 覚醒の意識を体験したからといって、何も特別なわけではなく 誰でも「すでにそれはある」のに、ただ気づいていないというだけですから もしそこに行ったなら 「なんだこんなことだったの。これはすでに(意識のどこかで)知っていた」 ということになります。 ただ、一度でもその状態を体験すれば、何らかの感覚は残っていて 自分がマインドにいることに気づきやすくなりますから、 意識の大きな変化はありますが、 だからといって、3次元的に抱えているすべての問題が解決するわけではなく あらゆる瞑想やヒーリングを行って、頻繁にその意識状態を体験している人でさえ 時々、完全にマインドに陥っているのを感じたりします。 そして、私自身もそうなのだなあと。 でも、その覚醒の意識状態に行く度に 「ああ、また戻ってくることができた」という大きな喜びとともに 「これは、いつもここにあったのに、あれこれ探し求めていたなんて。 私はもう何もする必要はなかったのね」 という感覚を感じます。 去年、清水友邦さんのブレスワークでもそう感じました。 そして、その意識状態を離れた途端、 その時、感じたことはしっかりと覚えているのですが もうすでに別の意識になっているのです。 覚醒するということは、自我から離れるということですが 覚醒した後、再び、自我に戻った時に 覚醒を体験する前とは違って 例え、自分がマインドからそれをやっていることに気づいていても この世界で自分のやりたいことをやってゆくのは変わりないのだなあと。 いつだったか、おさむと覚醒状態にいた時に 「のりこ、これでものりこは、パチパチとブログ書いたりするの?」 と言うので 「そりゃないでしょ~。そんなこと何の意味もないし」 なんて二人でけらけら笑っていたのですが その意識から離れた途端、バチバチとブログ書いている自分がいたわけです。 例え、私が何を言葉で説明したところで それぞれが体験して感じなければ何も意味はないわけで ブログなんて書いても、実は魂レベルで言えば 何の意味もないことは充分にわかっているのですが この3次元世界の中での遊びとして、あえてそれを行うという感じなのです。 人生暇つぶし これは私が20代前半まで、よく言っていた言葉だったのですが ニューヨークに来て20代後半から 「いや人生は暇つぶしなんかじゃない。 それぞれに与えられた使命があるのだ」ということに気づき 私の使命を探しながら、あれこれ探求を続けてきたわけなのですが ここ最近になって、 「やっぱり人生は暇つぶしだったね」とおさむと二人でよく笑います。 ただ、20代前半に感じていた暇つぶしと 今の暇つぶしとは全く違う感覚。 20代前半に感じていた暇つぶしは、刹那的であって 人との分離の意識の中での暇つぶしなのですが 今の暇つぶしは、すべてがつながっていることをつねに感じながら 自分が楽しくやれることを通じて、そのつながりをより深めてゆくという意識。 それが例え、エゴであろうが何であろうが この3次元に生まれてきたこと自体が、そういう体験を通じて 何かを感じてゆくプロセスなのだと感じます。 私たちに使命があるとしたら、一瞬一瞬を幸せに生きるということだけ。 どうせ暇をつぶすのなら、思いのままに冒険しながら ハッピーにこの人生を生きて、卒業したいなあと。 だから、すべての瞬間が大切で愛おしくて、祝福なのです。 ヒーリングをしている時間だけでなく 食べている時間、寝ている時間、服を着替えている時間、 シャワーを浴びている時間、話をしている時間、本を読んでいる時間、 ワインを飲んでいる時間、ブログを書いている時間、、、 すべてが愛おしくて抱きしめたくなる瞬間です。 では、ヒーリングというのは意味があるのか? そんな質問は何度となく自分にやったのですが 意味があると言えばあるし、ないと言えばない。 もちろん、私が今の意識にいるのは いろんなヒーリングを通じて、意識を変容させてきた (つまりは自分自身に戻ってきた)からであることは間違いないわけですが でも例え、ヒーリングをせずに 完全にマインドの中で、あれこれ苦しんでいたとしても それはそれで、魂レベルから見れば、そうたいしたことではないでしょうし いつかは誰でも覚醒するわけですから。 ただ、この今の時期というのは確かにあるようで 何かが大きく変わろうとしているこの時期だからこそ 様々なヒーリングが、社会に広まってきているのだろうなあと。 ちなみに、これは私の独断と偏見かもしれないのですが 瞑想だけで、マインドから抜けるのは、かなり厳しいなあと。 瞑想によって、感情は解放されてゆくかもしれませんが 最も問題なのは、私たちが持っている信念体系ですから。 これはIHキネシオロジーの中でいつも感じていることですが、 セッションの中で、身体の抵抗が大きくなるのは、 その人に強い信念体系がある場合です。 それは、それぞれの体験したことの深さや重さとは全く関係なく なぜかそこに強力に存在していて それぞれの魂の導きを防いでいます。 だから、そこから抜けた場合は、本当にハッピーですし なぜそんなところに陥っていたのか、不思議なのですよね。 私にとって、IHキネシオロジーが最もピンと来るのは この信念体系を、最も効果的に外すことができるヒーリングの一つだと 感じているからなのです。 (もちろん外すのは私ではなく、それぞれの方の魂の導きによってですが) ということで、今年2012年。 もう10年近く前からここに来ることを目指してきて 以前は、つねに自分の中では何かが足りない状態だったのに いつのまにか、ほぼreadyな状態になっていて いろんな人たちとともに、そこに向かっているのを感じます。 そこには何があるのか、まだわからないですが。 そこに向かう途中は、もちろん必ずしも楽し、楽しだけではないかもしれませんが 最終的にたどり着くところがわかっていれば、何も恐くはないですね。 ということで、今日は何となくこんなことを書きたい気分でした。 明日になれば、また意識は変わるでしょうから なんでこんなこと書いたのらしら?と思うのかもしれないですが。 (たぶん、後から読むと、こういうこと書いているのも マインドだなあと感じてしまうのですけれどね) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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