同情と共感と
私を知っている方は、よくわかっているでしょうが、私はよく泣きますわんわん泣くわけではないですが、IHキネシオロジーのセッションの中でも普段でも、感動すればすぐに涙が出てきます。でも、涙が出てくるのは、かわいそうとと同情したり、自分が辛くなって泣いているわけではなくてこれまで大変な想いをしてきたんだね~という共感や大変な経験を選んで、ここに生まれてきた魂のへの感動やそこにやっと気づいて、手放し本当の自分に戻ることができることへの祝福の涙なのです。なので、感情移入しているわけではないので次の瞬間には完全に忘れてしまっていて、全く残っていないことが多いです。おさむ曰く「のりこにとって、クライアントさんの話を聞いて共鳴することはまるで、テレビのチャンネルを変えることと同じなんだね」というのですが、確かにそんな感じだなあと。人によっては、ここではとても書けないような大変な経験をされて、人生の中で重い荷物を抱えていらっしゃる方もいます。時々、クライアントさんで「こんなに重い話をしてしまってごめんなさい」なんて言われる方がいらっしゃるのですが私にとっては、その人の経験の重さ、軽さはあまり関係がないのでどんなにディープな話を聞いたとしても、問題ないのです。セッションの間は、一緒に泣いたり笑ったりしていますがそのセッションが終われば、私の中にはもう何もなくなるのですから。その浄化力というのか、意識の変換のスピードは早いのでおさむはいつも「そういうことができるのは、のりこのヒーラーとしての資質なんだよ」と言うのですが実は持って生まれた資質ではなく、培われてきたものだということに最近になって気づきました。それは私自身が経てきたすべての経験から培われてきたもので、必ずしもヒーリングに関することだけではないのです。ヒーリングは、そのヒーラーの人生すべてによって、起こります。これはけして大げさではなく、本当に私が経験してきたことのすべてが今のヒーリングの仕事に生かされているのを、日々感じます。以前から感じるのは、ヒーリングに必要なのは、同情ではなく共感だということ。同情したり、感情移入すれば、それが自分のものとして取り込まれるのでヒーラーとしての仕事は難しくなります。でも共感できないと、クライアントさんが求めているものがわからないし本当の意味での癒しは起こらないのではないかしらと。同情というのは、実は、自分と相手が分離している意識であり相手を信頼していないということ。いくら3次元的には辛い経験であっても、魂レベルではその人の経験は魂の成長にとって、必要なものですからかわいそう、ということにはならないのです。一方で、共感は、あなたの学びによって、私も学んでいるということであり意識でつながっているということ。時々、周りの人の状況に左右されて、自分が落ち込んでしまったりする人もいますがそれは相手が潜在的に持っている力を信頼していない魂の導きを信頼していないということです。ヒーリングにおいて必要なのは、同情ではなく、共感であり心配ではなく、信頼です。どんな状況であったとしても、相手がそこから学び、成長することができるという、相手の潜在的な力を信頼していれば同情したり、心配したりすることはなくなります。そして、それはヒーリングの場だけではなく友人関係、夫婦関係、親子関係、すべてにおいて必要な意識だなあと思うのです。そして相手の力を信頼するためにはまず、完全に自分自身を信頼しているということ。だから、もし相手の状況に対して、自分が心配したり、辛くなったり同情していたとしたら、自分自身へのワークが必要なのです。私たちはみんな完全に守られて、導かれています。傷つくタイミングも、ヒーリングが起こるタイミングも魂のレベルでは、すべては完璧に起こるのですからBlessings