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カテゴリ:生活雑記
2024年5月6日(月・祝)
ゴールデンウィーク最終日です。 家族連れでお出かけされた皆様、お疲れ様でした。 今やもう一年中休日の我が家ですので、特にこの時期に出かけることはありません。 でもその昔は、毎年車を走らせたのよ。 私は母を20代で亡くし父とは確執がありましたので、岐阜に帰省することはほとんどありませんでした。 毎年ゴールデンウィークには、滋賀の日赤病院に入院している母の姉に当たる方のお見舞いをしていたことがありました。 伯母さんは、長いことリューマチで苦しんでいました。 九州にある冷凍治療施設に入院して、治療を受けたこともあったんです。 今検索してもその施設が出てこないし、その治療法の案内もないということは、もう存在しないのでしょうね。 私の記憶に有るのは、当時テレビで紹介された映像。 患者が白い着物のようなものを着て、零下何十度という冷凍室に入っていく映像。 伯母さんはそこで数か月治療を受けたようですが完治せず、滋賀に戻ってきました。 そして日赤病院に入院したのです。 死に至る病気ではないが、一人で生活はできません。 それで何年も入院していました。 毎年夫が車を出してくれて、まだ幼い娘たちを連れて滋賀まで中央道をひた走りました。 そのころ住んでいたのは、世田谷のボロアパート。 そこから滋賀県まで片道4時間以上、夫は一人で運転。 年に1回のお見舞いでしたが、子供のいない伯母はとっても喜んでくれました。 何年間ぐらい続いたのかなあ。 伯母が他界して、そのお見舞いは終わりました。 思い出すのは、時折はまった大渋滞。 渋滞が大嫌いな夫は、すぐ横道に入ってしまって迷うこともしばしば。 カーナビなんでない時代でしたからね。 ひとつ面白いエピソードが。 幹線道路が大渋滞になって、夫は首を巡らして抜け道がないか探しておりました。 と、1台の車が渋滞の列を離れたんです。 見れば地元ナンバー。 夫はすかさずその車の後ろをついて渋滞の列から抜け出て、農道のような道を走ります。 しばらく走っていくと、なんとその車はピンクのネオンが輝くホテルに入っていきました。 あ、そういうことだったんだ、って夫と二人で苦笑い。 幸い娘たちは、ぐっすり眠っておりました。 さてあたりは真っ暗な細い道、どこをどう走って幹線道路に戻れたのかは覚えていませんが、なんと大渋滞をやり過ごすのには成功しました。 伯母さん、娘たちもそれぞれ母親になりましたよ。 もう一度会いたいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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