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カテゴリ:文学
そもそも語彙は、その人間が見た世界を表していると言って良い。人が対象物を見て認識し、それをイメージ化して画像として脳内のデーターバンクに取り込まれる物と、言語で捉え直すことでデーターバンクに取り込まれる物とに別れてくる。勿論、人間の持つ感覚器官を通すので視覚以外にも聴覚、味覚、触覚、臭覚といった情報が取り込まれ、各データーバンクに入ると共にその対象の全体が総合情報として集積される。その記憶は以前に取り込まれていたデーターと比較され、時には過去のデーターとミックスされて想起したり、そのとき取り込まれた感情なども共通データーとして相乗化されたり削除されたりと、さまざまな反応を伴うこともある。この外界認識の取り込みの中で対象の言語化に限定すると、語彙と対象の総体イメージは個人の見た世界となり、文章かされる。ここで、日本語で言えば名詞や代名詞と言った体言のグループや、動詞、形容詞、形容動詞など用言のグループ以外に助詞、助動詞のような付属語のグループの利用により、表現を複雑に捉え自分の意識を伝達する手段を持っている。
文法は、その語彙を並べるルールであり、その語彙で並べる世界をどう認識し整理して表すかを考えていたかを示してもいる。文法が変わることは思考法も変わることを意味し、例えば「私、明日、行く、ない」と「私、ない、行く、明日」とでは語順の違いで認識の違いや思考の大きな相違を生み出すことになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年05月17日 16時58分42秒
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