「言語にとって美とはなにか」(吉本隆明著)の重要と思われる部分の抜粋(1)
1 言語の本質 夢は「言語」で理解されている潜在的思想が「像」に置きかえられたものこれが複雑なのは、両者の象徴の対応が複雑だからだ同時にフロイトのいう人類が生命史を持っているのと同様に、夢にも太古からの像が内在しているという。人間は、現実的意識としての音声表出を、人間的な意識の自己表出としておこなうようになったとき、初めて自分を動物と区別し始めた。無言語原始人が、動物社会よりも高次な生産関係を持つ高次な共同社会を営むようになったとき、甲が乙を労働にさそったり、共通の利害に呼応したり、男女がもとめあったりする叫び声の音声も、高次な編み目を持つようになり、そのため器官への固定作用が高度になって、特別の有節音が、特定の信号としての機能を持ち、ついに共同社会の約定のようになったものとして特定の音が特定の事物を指示するものとしてあらわれた。 <自己表出> 自己表出は現実的な与件にうながされた現実的な意識の体験が累積して、もはや意識の内部に「幻想」の可能性として想定できるにいたったもので、これが人間の言語の現実離脱の水準を決めるとともに、ある時代の言語の水準の上昇度を示す尺度となることができる。言語はこのように対象にたいする指示と対象にたいする意識の自動的水準の表出という二重性としとて言語本質をなしている。 労働の発達は、相互扶助、共同的な協力の場合を増加させ、社会の成長を相互に近づかせるようになる。この段階では、社会構成の編み目はいたるところで高度になり複雑化する。これは人類にある意識的なしこりをあたえ、このしこりがある密度をもつようになるとやがて共通の意識符牒を抽出させるようになり、有節音が自己表出されるようになる。人間的意識の自己表出は、そのまま自己意識への反作用であり、それはまた他の人間との人間的意識の関係づけである。 言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりを含むようになり、それが発達して自己表出として指示性をもむつようになったとき、はじめて言語とよばれるべき条件を獲得した。この状態は、「生存のために自分に必要な手段を生産」する段階におおざっぱに対応している。 言語が現実的な反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことはなかった。やや高度になった段階でこの現実的反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のために存在し、また他のために存在することになった。 こういう言語としての最小の条件をもったとき、有節音はそれを発したものにとって、自己をふくみながら自己にたいする存在となり、それは自己自体をはらむといってよい。