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カテゴリ:情況論
現代は大きな飢餓感を作り出している。満たされないと言う欠落感や欲しいという欲求は仮構されて私たちに様々な情報として侵入し、心にイメージを作り出す。仮構のイメージが植え付けられている。例えば食欲は飢餓感から来ている。美味しい物をたらふく食べたい、焼肉を、甘味料を、ラーメンをあるいは寿司を食べたいといったことも、食への飢餓感だ。これも、商品を売って、お客に食べてもらって利益を得るためのレストランや食堂の作るイメージが私たちに与えらているからだ。それを見て、空腹感や食欲が作られ飢餓感が形成される。
また、ギャンブルなどの賭け事、タバコや酒、セックス、ブランド品、お洒落、旅行、ひいては麻薬に至までの渇望も、その飢餓感から来る。性欲もエロスの飢餓感といえるし、ブランド品への飢餓感、あるいは最近性犯罪で見られる性欲を満たしたい、あるいは「覗き」の飢餓感。これらに共通しているのは精神的な幻想、つまり満たされない欠落感の観念が作られていると言える。 その作られ方は時代情況により、また勿論時代や、国、社会により異なり、飢餓感は全ての現代人に異質の飢餓感として、渇望のイメージが作られるということになる。 その飢餓を埋める毎日の習慣的な行為が、依存症という心の病の原因だ。つまり現代に生きる誰もが持ちうる可能性を持っている。 ある日、誰か大人達の吸っているタバコを真似して酔ってみる。それを日常的に繰り返す内に常用せざるを得ない癖となって習慣がいつのまにか、なくてはいられない依存症という体を蝕む病理に発展する。 いま、自分を省みて、癖になって切り離せなくなるほどに気づかない内に埋没している曲、習癖はない?誰しもが、必ず何かしらの習慣化を持ち、過度に自身や生活を蝕む悪癖な病理といえる境界を越えている依存対象を持っているはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年05月26日 23時18分00秒
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