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カテゴリ:情況論
最近、虐めによる性との自殺が相次いで報道されている。
その一方で「パワハラ」(パワーハラスメント=上司による権力を使った嫌がらせ)が報道された。校長の教師に対する「いじめ」て゜ある。 子供達は「いし゜め」をどこから学ぶか?それは周囲の社会や大人達の行動を模写し、善悪の判断が不十分なままに相手に使うのが「いじめ」の根本だ。 一番の教育者達が、その学校という場で、これはあいつを傷つけるからやってはならないことだと始動するのが、学校に与えられている大きなテーマの一つだと言える。 どんな「いじめ」をしたのか、「いじめ」があったならに、どう今後は改善し、いじめられた子供にどう接するべきかを指導しなければならない。その責務を忘れて、社会的な地位や保身を体裁として、「いし゜め」を隠蔽したり、改善を試みようとしないなどはもってのほかだ。 たびたび報道される学校側の不適切な対応の根本は、教育者のモラルの欠如、その一言に尽きる。これらの教育思想を背景に生徒と接していること自体が、もはや論外と言わざるを得ない。 教育界の体質を完全に根本から問い直す力がないと、学校に明日はない。つまり、子供達に「少しはましな未来」など見えては来ないのである。はたして、その自浄力があるのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年11月02日 06時45分14秒
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