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作家の部屋 「ダルタニウスの苦悩」

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スザンヌの「ぶろぐ… スザンヌ☆さん

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どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
2006年11月02日
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カテゴリ:情況論
無思想なメディアが生み出した勝ち組、負け組と言う言葉が流行している。勝つとは、ここでは富を得ることを意味し、逆の負け組は金持ちになれない層を象徴的に表している。

 問題は、財産を成し、金持ちになることが勝者だろうか。例えば時代により財産を獲得できるチャンスの業種が変化する。現代は、先ず上げられるのはIT関連の企業だろう。高齢社会を迎えるため、福祉、医療、介護関連も今や上げられるかもしれない。資本謝儀社会は、職業選択の自由があり、経済活動は保証されているる利益を求めて活動することが大前提の社会では、金儲けに走る努力がチャンスや努力、度量、才能によっては結実する可能性をもっている。もし、財産を得られれば、贅沢な暮らしはできる。広い家、豪華な家具、一等地での生活などだ。

 一方、そのチャンスに恵まれない人、資本や資質や度量が無かった人達は、そのチャンスを得られないかもしれないし、彼らの下働きに甘んじるかもしれない。あるいは、チャンスがあっても、不運な目に遭い、資産を喪失するかもしれない。バスの運転手は敗者なのか、電車の運転手は敗者なのか、コンビニ店員のフリーターは敗者か、絵が好きで美術の先生を目指すなんて敗者なのか、田舎で茄子やカボチャを作っていたら敗者なのか、学校の教員は勝者で事務を執ると敗者なのか、医者は勝者で介護士は敗者なのか。

 また、利益追求が人生最大の価値あることと思わず、もし、芸術に親しみ、慈善事業やボランティア活動、国際援助貢献活動に尽力を尽くすのが生き甲斐だったり、自然を愛し目先の利益追求より、自然を堪能したり、自然の環境破壊を憂えて、植物の育成、絶滅種の動物の保護のために活動するかもしれない。戦争を否定しようと戦地での反戦活動に身を投じて命を落としたり、現地の負傷者の救出に生命を欠ける人がいるかもしれない。それらの行為のお陰で、もし後者の人々が、富を得られなかったとすると、それは「負け組」の敗者なのだろうか。スーパーのレジは敗者で店長は勝者なのか。ビル経営者が勝者で社員や管理人は敗者なのか。下働きや請負業者は敗者なのか。図書館員は敗者なのか。

 勝ち負けは、学校のランクや成績の出来不出来や、勝負事のような学歴偏重の社会の中でエリート教育を受けてきている、学校教育の延長ではないだろうか。

 いま、公立高校が履修科目の改ざんが露呈して、まさに結果主義の学校教育が与えてきた教育を、まさに学んだ生徒達が社会に出て、考えだした結果が、この「勝ち組」「負け組」の思想ではないだろうか。教育が教えている、実利主義や偏差値偏重の結果主義が社会にこのような思想を生み出しても、なんに不思議はないということになる。

 人間としての在り方を、私たちはもう一度、根底から問い直すべき時に来ている。

学校でき成績上位者が、必ずしも社会の序列とイコールになるとは限らないが、少なくとも社会的な上層階級やの納税ランキングの上位にはいることが、同等の扱いのように、ただ顔を変えて生きている。

 人間は、総体的な存在です。その部分だけで、人の評価を下すべきではないし、人間的な享受の幅や、感性や、人間性や芸術という一見利益のみの追求には無縁なはずのものにも、つまり利益度外視の世界のことに心を奪われてこそ、多くの財産が心に得られると言える。世の中、金銭欲だけで、また富の資産額だけで、勝敗は決定しないという、大きな尺度がいま、求められている。





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Last updated  2006年11月02日 06時50分50秒
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