|
カテゴリ:情況論
教育現場が揺れている。それは間違った方向へと瞑想しているとも言い換えられる。
大学受験予備校と化した進学高校は、その結果を求めるあまり、高校で広い知識と教養を深め、価値観や判断力や表現力を習得し、いまやグローバル化した先進国の一員として、しっかり社会人として生きていく力を、興味や探求心を深めるべきにもかかわらず、受験に不要?な科目を切り捨ててしまうことが、そもそも大間違い。 さらに、教育という現場で、子供達を正しく教育すべき教師達が、単位を修得したと偽装して、公文書を虚偽表示する文書偽造の詐欺行為をやらかす。この、不届きな教育失格者たちが全国に、かくも多く横行し、まかり通る教育界には明日などまったく見えてこない。そう思いませんか? 体裁や上辺の評価にばかり終始し、その為には真実も覆い隠すような日本の教育界は、根本から大間違い。学校全体の大改革とモラルの教えを校長以下、全教員に徹底しなければ、明日の子供達の未来、ひいとは世界の将来なんてものは見えてきません。こんな馬鹿どもが子供達を育てていたのかと思うと情けないの一言です。日本を駄目にしていくのは、教師たち、そのものではないのでしょうか。 このことで、茨城県のある校長が自殺したとのこと。あなたは、なぜ死ぬのですか。ちゃんと、子供達を良い方向に導き、子供達があなた達の行動を見て、学ぶ訳ですから、どう適切、適正に振る舞うかを見せて示さなければなりません。窮地に陥ったら、ごまかして逃げたり、自殺して、未解決に放置してはいけない。しっかりした態度で、模範を示さないといけないのです。 朝日の朝刊では、第1面でこの責任は文部省か、教育委員会か、それとも校長かとお互いの責任のなすり合いを始める始末。大人達の態度を子供達がどう学ぶのか、分かっていますか? 今回の、「いじめ」による中高生の自殺が相次いでいますが、学校の隠蔽工作や見て見ぬ振りの自己中心的で不適切な態度、あるいは親には虐めの事実を認め、翌日は、「いじめ」などないと思う、そのときは意識がもうろうとしていた?? などとの虚偽表現。あなたは、それでも、校長ですか?人間としても最低の部類ではないでしょうか。こんな馬鹿野郎が、子供達を育てる資格などもともとないのです。 いま阿部総理は教育改革を改革の目玉にしていますが、保身ばかりを気にするモラルのない教育の根本的な大改革。はたして出来るのでしょうか。このままでは、日本という国、さらには世界に明日などないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年11月02日 06時55分07秒
コメント(0) | コメントを書く
[情況論] カテゴリの最新記事
|