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カテゴリ:情況論
いじめとは、意地悪のことだ。恐らく、誰もが少なからず遣った可能性がある。事の大小や意図的か否かは別して、家庭内、隣近所、学校内や、職場や、通勤電車内、スポーツ中、学会や国会内や、と人間が居れば善意と悪意の意識下で、人間関係に不可欠な不条理だといえる。
この意地悪を根本的に根絶する社会は、現代社会では不可能だと言える。個人が決意したところで、いわばやる人はやってしまう。それが犯罪にまで発展してしまう場合もある。 幼い心に露骨に現れ、ブレーキが利かなくなる弱い者いじめや、自分たちとは異質な違和感から来る排他的な行動、さらに巧妙で作為的な罠や悪質な精神的、身体的暴力。ただ、いまの「いじめ」は子供ゆえのものだ。過剰に言い、過剰に振る舞い、陰湿に徹していまい、後先の結果が分からない、幼児性から来る行為だ。 そのことが、相手の身になるとどうなるのか、自分に置き換える考える力や学習ができていないから、過剰に攻撃してしまう。それを、指導し、理解させるのが大事な大人の役目であるといえる。その役目を学校という教育の場画に萎えずに、放棄して隠蔽し、真に対応できないとしたら、それは最早、教育の場とは言えなくなっているのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年11月08日 23時40分41秒
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