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カテゴリ:文学
■人生の意味を考えるとすれば
若者は安定、安泰や平穏を求めるだろうか 人生に危なげないものなんてない もし 求めているとすれば 誰かしらの支えがあって それを得られている もし それらが取り払われたとき 君が何を求めるのかを ここでは指している たとえば この仮定は成り立つに違いない 若者は富や名声や力を求めるだろうか あるいは 自分が満足できる仕事を求める結果が それらを付帯していると 言ってもよいかもしれない それでも 私たちが社会内労働をすると 多くの障害とぶつかることになる 仕事を媒介に他者、他社や他の業務とこじれたり 組織の個人と個人、あるいは個人と組織の狭間で こじれることが多々出てくるはずだ 組織は個人を圧殺する他者として対峙してくることは 本質的なことだから 避けようがない それを避けるには 組織そのものが実体的にも観念的にも 解体されるしか道はない 私たちはいつも危険にさらされている ともすると平和な日常生活も 一日にして悲劇的な生活に一変するかもしれない つまり「日常には悪魔が潜む」とは そのことを象徴している表現だ それは 人の心に悪魔が潜まざるを得ない限りにおいてという条件がつく なぜなら そうならざるを得ない原因は社会に存在し 錯綜した原因が解消することがあれば 当然 消えうるはずの悪魔だといえる 日々の糧を持続して手に入れるのが 困難な社会や時代の状況や個人の環境と おそらくは多少のつまづきや多少のトラブルがあったとしても 連綿とした日常らしき世界が続くと思われる場合もある なぜ、ある選択をしなかったのか なぜ、ある仕事をしようとしなかったのか それらの問いかけは、時代と自分自身に帰すべき原因がある 「自己防衛」は自分自身に、また家族に、あるいは愛する人や同胞を 含めて、必要なことだ。 老後の生活費を青年期に予知して蓄えておくべきだ それがなかなかできないから給与からの強制天引きのシステムが あるといえるかもしれない これは経験した親からの教訓としてと君に伝えられ 賢明な君は必ずその言いつけを守るはずだ でも 僕にはそれができなかった 後悔は必ず後からやって来る 無論 それは個人が引き受けるべきことだ いざ死ぬときに自分で「良かった」と思えれば それが最高には違いない 生きることは選択だ どう生きるかは自分次第だ 「危なげない」という忌まわしい言い回しを排除して 自由に職業を選択してみるべきだ すると自分の内側から 必ず答えが現れる Yes No と 危なげない人生にも大きな意味があるし 思っている以上に どの人生も危うさを持っている ただ 人生はやり直しがきかない だから自分が思うこと 自分が信じたこと 自分が選択しようと思っていることを 躊躇せずにやるべきだ 内なる自然が その選択を強い 内なる自然が その解答を提示する お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年03月13日 19時29分26秒
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