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2008.06.18
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カテゴリ:歴史
もつれに、もつれた戦国時代に終止符を打った男。

誰もが知る、徳川家康だ。

その家康に、堂々と正面から戦って、二度、勝った武将がいる。

名前を”真田昌幸(さなだまさゆき)という。

有名な真田幸村の親父さんだ。

一度目。

第一次上田合戦

徳川軍7000名  真田軍2000名

結果、真田軍の死者40名、徳川軍の死者1300名以上。

真田の完勝だった。


そして、時は流れ、第二次上田合戦へ

徳川軍3万8000名  真田軍2500名

この日の徳川軍は、天下分け目の戦いに向けての徳川主力部隊だった。

家康は、この主力部隊に自身の優秀な武将をほとんど同行させていた。

にもかかわらず、真田に勝つことは出来なかった。

そして、この主力部隊が関が原に到着したのは、

天下分け目の決戦が終わった4日後だった。



真田昌幸には二人の息子がいた。

一人は、大阪夏の陣で、徳川家康をあと一歩まで追い詰め、そして華々しく散った、

”日本一のつわのも”と言われた男、真田幸村。

そして、もう一人は父と弟を捨てて、義のために徳川についた、兄の真田信幸。

江戸時代に入った後、信幸の経営手腕は素晴らしく、領民から名君と呼ばれていた。

すると、信幸は、

”領主が名君だと言うことは、百姓が米を作り、商人が物を売るのと、

同じ事で、あたりまえのことなのだ。”といったそうだ。

信幸が土台を作った真田松代藩は、その後250年にわたり幕末明治まで生き残った。


最後に、あの有名な真田の旗(真田の六文銭)の意味を書いておきたい。

死者が、三途の川を渡るときの渡し賃が、”六文(ろくもん)かかるそうだ。

つまり、真田は、戦争においても、平時においても、死ぬ覚悟で闘っていたのだった。









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Last updated  2008.06.18 23:45:34
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