|
カテゴリ:歴史
補足 前回の日記で、 上杉謙信がものすごく強く、また織田信長と武田勝頼が、ものすごく弱いような イメージとなってしまいましたので、補足させていただきます。 織田信長ファンの方にはお詫び申し上げます。 長篠の戦で、武田に完勝し、勢いにのる織田軍に 上杉謙信は完勝したと書きましたが。。。 上杉謙信とこの時、戦った織田軍は、 たしかに上杉軍の2倍以上の兵力を持っていたが。。。 織田信長が指揮を執っていたわけではありませんでした。 また、豊臣秀吉も、柴田勝家と意見の衝突をきたし、戦線を離脱しておりました。 信長の盟友、徳川家康もこの戦いには参加しておりませんでした。 つまり、織田信長の真の実力とはいえない面がありました。 それに引き換え、 武田勝頼の破れた長篠の戦では、 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人が揃っておりました。 テレビなどでは、武田勝頼が、無茶な指示を出して、 信長の鉄砲隊の餌食となり、あっけなく滅んだようになっておりますが。。。 織田、徳川連合軍と武田の死闘は8時間以上も続き、 織田方の戦死者は6000名も出しております。 けして楽な戦いではなかった。 そして、武田勝頼は、父、信玄が落とすことの出来なかった、 徳川との境界線上にある難攻不落の高天神城を落城させたりもしており、 非凡な才能の持ち主でした。 しかし、彼は若かった。。。 ”用心深さ”と”したたかさ”が 決定的にたりませんでした。 ”したたかさ”とは、漢字で書くと ”強かさ” となります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.12 12:14:25
コメント(0) | コメントを書く
[歴史] カテゴリの最新記事
|