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2008.07.23
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”人間のやったことは、


 人間がまだやれることの



               100分の1にすぎない。”


 トヨタ自動車の源流。

 豊田佐吉は、静岡県の農家の長男として生まれた。

 しかし、佐吉の家は貧しく農業だけでは食べていくことは出来なかった。

 父は農業のほかに大工をし、母は機織り(はたおり)をして飢えをしのいでいた。

 おさない佐吉少年は、母親が朝から晩まで機織りを続けている姿を見て、

 ”なんとか母を楽にしてあげたい。”と思った。

 佐吉少年は、手織機の改良を考えたのだった。

彼は、知識を得るため、博覧会に行き、外国製のはた織機を見に行く。

 それをヒントに”豊田式木製人力はた織機”を考案する。

 佐吉の作った、はた織機は、木材が多用されていたために、

 金属でできた外国製はた織機と比較すると、

 価格は10分の1だった。

 その安さが評判になり、佐吉のはた織機は爆発的に売れた。

 佐吉は、得た利益を開発資金にまわし、数年後に”自動はた織り機”を作り上げ

 特許を取得する。

 こうして、佐吉の開発した機械のおかげもあり、日本は繊維大国として

 海外へ輸出できる国となった。

 そして貴重な外貨獲得の道を開いたのだった。

 豊田佐吉が40年間に取得した特許の数は、

 国内で100以上。

 海外でも50以上。

 江戸時代から、たいして時間がたっていない頃、

 海外で特許を取得した男。

 それが、トヨタ自動車の源流、豊田佐吉である。







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Last updated  2009.07.27 16:27:17
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