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カテゴリ:トヨタ自動車の考え方
”人間のやったことは、 人間がまだやれることの 100分の1にすぎない。” トヨタ自動車の源流。 豊田佐吉は、静岡県の農家の長男として生まれた。 しかし、佐吉の家は貧しく農業だけでは食べていくことは出来なかった。 父は農業のほかに大工をし、母は機織り(はたおり)をして飢えをしのいでいた。 おさない佐吉少年は、母親が朝から晩まで機織りを続けている姿を見て、 ”なんとか母を楽にしてあげたい。”と思った。 佐吉少年は、手織機の改良を考えたのだった。 彼は、知識を得るため、博覧会に行き、外国製のはた織機を見に行く。 それをヒントに”豊田式木製人力はた織機”を考案する。 佐吉の作った、はた織機は、木材が多用されていたために、 金属でできた外国製はた織機と比較すると、 価格は10分の1だった。 その安さが評判になり、佐吉のはた織機は爆発的に売れた。 佐吉は、得た利益を開発資金にまわし、数年後に”自動はた織り機”を作り上げ 特許を取得する。 こうして、佐吉の開発した機械のおかげもあり、日本は繊維大国として 海外へ輸出できる国となった。 そして貴重な外貨獲得の道を開いたのだった。 豊田佐吉が40年間に取得した特許の数は、 国内で100以上。 海外でも50以上。 江戸時代から、たいして時間がたっていない頃、 海外で特許を取得した男。 それが、トヨタ自動車の源流、豊田佐吉である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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