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2008.08.10
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カテゴリ:太平洋戦争の追憶
8月9日付けの、西日本新聞に一つの記事が載った。


現在、日本の原子力発電所で、放射能漏れが起きたら大騒ぎになる。



過去、学校や病院のある大都市の上空で原子爆弾が炸裂した。



ファットマンとは、


長崎に投下され7万人以上もの命を奪った原子爆弾の名前。



日本語に訳すと、”ふとっちょ”という意味になる。



去る、8月8日、ひとりの老女が長崎に降り立った。


老女の名は、ジョアン・ヒントン。歳は86歳。


第二次世界大戦中、


当時のアメリカでは原爆の製造計画(マンハッタン計画)がおこなわれており、


彼女は大学院の学生だった。


すぐれた才能の持ち主で、24歳の若さで原爆製造計画に抜擢された。



ヒントンは、当時、こう聞かされていた。


”原爆を砂漠に落として、脅威を敵に知らしめて、


     ドイツの核兵器使用を未然にやめさせるのが目的”



しかし、現実は違った。


子供や赤ちゃんのいる、都市の上空で。。。


彼女は、広島への原爆投下を新聞で知った。


”まさか”と思った。


3日後には、プルトニウム型原子爆弾が長崎に落とされた。



彼女は、祖国アメリカのした行為が許せず、


1948年に中国に移り住み、北京郊外で酪農をしながら


現在まで核廃絶を訴え続けてきた。


そして、今年、彼女は、長崎の原爆資料館に行った。


そこで、熱で溶けたガラスや重傷を負った人々の写真を見た。


”なんて。。ひどい。。。”と、つぶやいて、うつむいてしまったそうだ。


そして、彼女はこういった。


”わたしは研究成果だけを求める純粋な科学者だったことを恥じる。


   若い科学者には、自分の行為が招く結果を考えて行動してほしい ”



わたしもホノルルに何度か行く機会があったが、

         いまだに真珠湾には行くことができないでいる。




この老女の人生も、一つの爆弾でかわってしまった。


もうすぐ。。。また8月15日がくる。





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Last updated  2008.08.10 10:08:15
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