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カテゴリ:グットな人
WBC侍ジャパン、いよいよ準決勝へ。。。 先日、 楽天の野村監督が、チャンスで打てないイチローに、こう話をしていた。 ”イチローはマリナーズで評判悪いらしいやないか。” ”チームメートが全然相手にしていないらしい。” ”団体競技なのに、嫌われたら話にならんだろ。” 。。。。。。。。。。。。。。。。。。 バスケットボールをする人は、おそらくご存知だと思うが、 むかし、NBAにすごい選手がいた。 名前は、 ”マジック・ジョンソン。” 1980年代のロサンゼルス・レイカーズを 5度(1980年、1982年、1985年、1987年、1988年)にわたり、頂点に導いた選手。 いまも、 ファンの間で、彼のことを歴代最高のポイントガードだと言う人は多い。 ある人が、 マジック・ジョンソンに質問します。 ”あなたは、子供の頃から、ずっとスーパースターだったのですか?” マジック・ジョンソンは答える ”そうですねぇ ” ”ジュニアリーグの時代は、とても勉強になったんです。” ”わたしのチームが勝つでしょう、 いつも80対20みたいな大差で。” ”そのうち、だいたい70点ぐらいは、私一人の得点だったんです。” ”ゲームが終わると。。。 勝った試合のはずなのに。。。必ずみんな怒っていたんです。” ”それは相手チームだけでなく、 味方のチームメイトも、 そして味方チームメイトの親御さんたちも。。。です。” ”わたしが、ボールを独占していたために、他のメンバーがシュートすることができず、 だから楽しむことも出来なかったんですね。” ”わたしは、そのとき思いました。” ”もっと人を巻き込まなきゃいけないと。” ”じゃなければ私のことをみんな嫌ってしまう。” ”その時ですね、 わたしが、いいパサーになるための方法を学ぼうと思った時は。” ”そして、その後も、 私たちのチームは80対20の大差で勝ち続けることが出来ました。” ”しかし、内容は、今までとぜんぜん違います。” ”私が決めるのは、せいぜい20点ぐらいで、 残り大半の得点はチームメイトの得点です。” ”親御さんたちは、私を気に入ってくれたし、 チームメイトはハッピーになったし、 みんなが一つになってプレーするようになれました。” ”わたしは、 ”私”から”わたしたち”にすることを学んだんです。” ”つまり 1+1=2ではなく 3にも、4にも、なるということを。” 彼の、 ミラクルなエピソードをひとつ紹介します。 彼は、HIVに感染していることが判明し、突然引退することになってしまいました。 そのため、 NBAの1992~1993シーズンの試合には一切出場することが出来ませんでした。 しかし、 引退が突然だったため、オールスター戦のファン投票のマークシート用紙には、 ジョンソンの名前が記載されたままでした。 そのため、ファンの多くが、 オールスター戦の出場選手投票で、ジョンソンに票を投じました。 結果、 ジョンソンは全選手のなかで最多得票となってしまいます。 引退したにもかかわらず。。。 そしてジョンソンは、ファンの期待にこたえ、 オールスター戦に出場します。 大舞台で、ジョンソンは目のさめるような活躍をします。 。。。 試合が終わった時。。。 彼は、オールスター戦のMVPに選出されました。 ”マジック・ジョンソン” みずからシュートをすることを捨てて、 相手に最高のパスを出し続けた男。。。 アメリカ人は、今も彼をリスペクトしている。 ちっぽけな 自分を取り巻く人々はいうだろう ”お前は飛べないよ” そこで、 ”こんな自分じゃ、たしかに飛べるわけ無い”と下を向いてしまったら、 飛べる自分に会えずに終わってしまう。 下を向かずに空を見上げることをやめてはいけないんだ。 助走をつけて、羽をばたつかせてみたりする。 そうやって強がらなければ、 将来の自分の自由な幸せは守れないんだ。 マジック・ジョンソンのことばです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.22 23:01:40
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