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ちょこどーなっつ@ Re:停電について(03/13) あんどーなっつです。 お元気ですかぁ…
ちょこどーなっつ@ Re:停電について(03/13) あんどーなっつです。 ご無事で安心し…
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いなあゆ@ Re:停電について(03/13) ご無事でよかったです。
チョコまりん@ Re:停電について(03/13) ご無事で安心しました。 阪神淡路大震…

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2009.04.21
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ビック・ブルーという言葉がある。。。



アメリカ人は、偉大な企業IBMにたいし



親しみをこめて そう呼ぶ。



なぜ、IBMはブルーと呼ばれるのか?



それは、むかしIBM社員は例外なく、


濃紺のスーツにシングルベンツ、そしてワイシャツは白だったからだ。



礼儀正しく、高学歴で、ジェントルマンだった。



まちがってもクレリックのYシャツを着た男などは存在しなかった。。。



IBMは世界ではじめて商用コンピュータを世の中に送り出した会社だ。


しかし、


1993年、


IBMは、あいかわずプライドは超一流だったが、


経営は三流に落ちてしまっていた。



巨額の損失を計上し、沈没寸前だった。



当時、新興勢力のインテルCEOアンディ・グローブあたりは。。。


”IBMのふぬけぶりは、言葉にならないほどだった。”と笑って語っている。



どうして当時のIBMは腑抜けになってしまったのか。。。


それは日本の霞ヶ関や政治家と同じ環境だったからだ。


あまりにもマーケットに、ライバルがいない状況のなか君臨し続けたためだった。


社員は、することがないので、


なにか次の目標を探し回るようになってしまっていた。


そして、その目標をマーケットではなく、社内で見つけはじめた。


すべての関心は、顧客マーケットではなく、


社内政治の競争に集中するようになっていたのだった。。。






自浄作用を失ってしまったIBMは、このときはじめて。。。前例を破り、



人材の外注をした。




ヘッドハンティングされた男は、意外な人物だった。


ルイス・ガースナー。。。


ナビスコ(オレオクッキーなど)というお菓子メーカーのCEOだった。


この発表に。。。


だれもがIBMの終わりを感じた。


メディアは、さんざんIBMをバカにした。


そしてウオール街も冷笑した。


またIBMの社員も、


”なんで菓子屋の下で我々は働かなければならないのか?”


”菓子屋に、我々の何が分かるのか?”


と不満をぶちまけたのだった。


当初、


ガースナーは、


”ポテトチップス屋にコンピュータなど分かるか?”と陰口を叩かれた。



すると、ガースナーは、


”そのパワーチップとやらは、ポテトチップより儲かるのか?”と逆に


質問し、周囲を黙らせた。



そしてガースナーの改革が始まる。





ガースナーが注目した言葉があった。



それは、はるかむかし。。。


IBM創業者のトーマス・ワトソンが


いつも社員に言っていた言葉だった。


”製品の話ばかりするな! 客のビジネスの話をしろ! ”




ガースナーがIBMに来た時、


IBMの経営陣は目の前の問題点に意識が釘(くぎ)づけになっており、


機能停止状態になっていた。




ガースナーは根っこの部分、企業文化の変更からはじめた。


”マーケット重視”


”スピード ”


”チームワーク ”



会社の関心を社内からマーケットへ移すことを最優先課題とした。


ガースナーはなんども社員たちへ


”IBMは顧客を従わせる会社ではなく、顧客に必要とされる会社になるのだ”と語りかけた。




そして宣言した。



” いま現在、



  IBMにもっとも必要のないもの



  それは、ビジョンだ! ”




ガースナーはIBMを”ハードウエア会社”から”ソリューソンを提供する会社”へと



会社の形態を大きく変更したのだった。



濃紺の背広に白いシャツの保守的な人々は、ショックを受ける。。。


最初の年だけで。。。60000人もの人々がIBMを辞めていった。





IBMは、その後、


ソリューション企業として見事に復活する。



ガースナーがトップに就任した当時、


IBMは160億ドルという巨額赤字を計上していた。


しかし、5年後には50億ドルの黒字を出すところまで回復したのだった。




ガースナー

”われわれは顧客の抱える様々な問題に耳を傾け、


 その問題を解決するためのテクノロジーとノウハウをひとまとめにして提供するのだ”





IBMのやったこと。。。



2002年10月 - 米 PricewaterhouseCoopers よりコンサルティング部門を買収。

          本格的なサービス事業の強化を図る。



2002年12月 - 将来、成長の見込みの無い ハードディスクドライブ事業部門を


         日本の日立製作所(最近冷蔵庫で話題になっている会社)に売却。



2004年12月 - PC(パソコン)事業部門を中国の聯想集団有限公司 (レノボ) に売却。



2005年 2月 -  東京証券取引所の外国株市場廃止に伴い、同取引所第一部に指定。


    同年5月  上場維持費用などを考慮し魅力のない日本市場から自主的に上場廃止。



2006年1月 - 法人向けプリンター事業を日本の株式会社リコーに売却することを発表。




そして、昨年、



世界中の企業が危機的状況のなかで下方修正を余儀なくされていたなか。。。


IBMは、


第2四半期決算、売上高は238億ドルで前年同期比9%増、



純利益は同12%増の22億6000万ドルだった。



そして改革を行ない続けているソフトウェア部門の収入は48億ドルで、



前年同期比13%増だった。



なかでも、WebSphereやInformation Management、Tivoliなどの



ミドルウェアの売り上げが16%も伸びたのだった。



そしてビジネス、テクノロジー両サービス部門とも、



前年同期10%を上回る売上高だった。

 

サミュエル・パルミザーノ会長・社長兼CEOの話によると、


同四半期の売上高の伸びは”2001年以来最高だった! ”。


ソフト製品ラインの拡充や、幅広いサービスが顧客企業に評価された手書きハート



”IBMの国際的な実力の表れ大笑い”だと語っていた。




システムインテグレータの波高し!











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Last updated  2009.04.21 08:20:44
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