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カテゴリ:グットな人
わたしは、いままでブログに様々な人物の話を書いてきた。 マザーテレサ。。。 松下幸之助。。。 ベートヴェン。。。 徳川家康。。。 みんな、すごい人たちです。 昨日のブログのコメントに、ぜひ住友さんのお話を。。。とありましたので、 あらためて、今回、ご紹介させて頂きます。 住友の男。 住友の男は、もしかすると冒頭で紹介した、 ワンダーな人たちの長所をあわせ持った人かもしれない。 住友の男とは、伊庭貞剛(いば・ていごう)さんのことだ。 どんな人か? あの、 田中正造(たなか・しょうぞう)が絶賛した企業人です。 伊庭さんを説明する前に、 田中正造の人物像から説明させて頂きます。 田中は、江戸時代後期、栃木県の裕福な名主なぬし/村のトップ)の家に 長男として生まれた。 彼は大きくなると、父の跡を継いで、村の名主となった。 田中の村の領主は六角氏といって、 村人たちを搾取(さくしゅ)し続け、私服を肥やしている悪い領主だった。 田中は。。。見て見ぬふりのできない男だった。 さっそく名主となった田中は、領主に、改善要求を行った。 しかし。。。六角氏は、これにおおいに怒り、田中は、明治維新直前に投獄されてしまう。 (この時の田中が投獄された牢屋は縦横高さともに1mほどしかない狭いもので、 立つことも寝ることもできない過酷な構造だった。) 翌年、田中は村人たちの努力もあり無事に釈放される。 明治23年、第1回衆議院議員総選挙に田中正造は立候補し初当選する。 この年、渡良瀬川(わたらせがわ)で大洪水が発生する。 川の上流にある足尾銅山から流れ出た鉱毒によって、 稲が立ち枯れる現象が流域各地で確認され、大騒ぎとなる。 翌年、田中は鉱毒の害を視察し、第2回衆議院議会で足尾銅山の鉱毒問題の質問を行った。 しかし、当時、日本政府は、西欧諸国へ追いつけ追い越せ!の空気の中にあり 環境悪化による多少の犠牲などより、 工業立国として西欧諸国と肩を並べることの方に重点が置かれていた。 田中は、あきらめずに、その後、何度も政府に強く改善要求をし続けた。 明治30年になると、 ようやく世論も動きだし、農民の鉱毒反対運動が激化してゆく。 田中は、足尾銅山鉱毒問題を、 東京や地方各地で演説を行うことによって、 問題の存在をクローズアップさせて行った。 ようやく農商務省と足尾銅山側は当面の予防工事を確約し、 実際に着工するが、元々やる気のない工事だった為、効果は薄かった。 明治33年2月、農民の怒りは頂点に達し、 東京へ陳情に出かけようとしたところ、 途中の群馬県川俣村で警官隊と衝突。 流血の大惨事となり、農民多数が逮捕された。 この事件の後、田中は国会で事件に関する質問を行った。 田中正造 これが”亡国に至るを知らざれば、之れ即ち亡国の儀につき。。。” 日本の憲政史上に残る大演説となった。 田中正造は。。。2日後、 今後も国と対峙し続けるということは、 所属している党へ迷惑をかけるということになる。との判断から憲政本党を離党する。 田中の離党覚悟の真剣な質問に対して。。。 当時の内閣総理大臣、山縣有朋(やまがた・ありとも)は ”質問の意味が よくわからない。” と答弁を拒否した。 明治34年10月、田中は議員でいることの無力さを痛感し議員を辞職する。 そして下野(げや)し鉱毒被害を広く世論へ訴える続ける。 そして、とうとう田中は、 12月10日、 足尾銅山鉱毒事件について、 明治天皇に直訴(じきそ)する。 しかし、 田中は、天皇の馬車にたどり着く前に。。。 途中で警備の警官に取り押さえられ直訴そのものは失敗に終わる。 しかし、田中の行動に東京は大騒ぎとなり、号外も配られ、 田中の直訴状の内容は広く知れ渡ることとなった。 田中は、そっこく捕えられたが。。。 日本国政府はこれ以上騒ぎが大きくなるのを恐れ、 ”単に狂人が馬車の前によろめいただけ” としてこの問題を不問にすることにした。 田中は即日釈放された。 田中は直訴直前、死を覚悟し、 妻に迷惑がかからないようにと、妻カツに離縁状を送っている。 しかし、妻カツはその離縁状を破り捨てた。。。 夫婦で正義を貫く(つらぬく)覚悟だった。 その後も田中の粘り強い活動によって、 とうとう足尾銅山は閉山となり、鉱毒の流出は止まったのだった。 *ちなみに、2009年現在に至るも、 足尾の山々は、当時の傷から完全には回復していない。 田中は終生、 様々な社会問題や巨悪と戦い続け。。。遊説の途中、力尽きて亡くなる。 財産のすべてを鉱毒反対運動に使い果たした田中、 子供のころ名主(なぬし)の子として 裕福であったにもかかわらず、 死んだときは、無一文になっていた。 全財産は。。。きんちゃく袋1つだけだった。 中身は。。。 書きかけの原稿と新約聖書、 鼻紙(ティッシュ)、 川海苔、 小石3個、 日記3冊、 帝国憲法とマタイ伝の合本だけであった。 田中正造。。。 政治家になった為に、無一文になってしまった男。 あとにも、さきにも、日本に、こんな純粋な政治家は、現れることはないだろう。 現在、 彼、田中正造のお墓は六つもある。 なぜか、 彼を慕った人々が、彼の亡骸の分骨を切に願ったためだ。 田中は人々から深く愛された政治家だった。 そんな田中から、 唯一、称賛された企業人がいた。 それが、 今回の主役、 住友の男、伊庭貞剛だった。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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