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2010.02.06
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カテゴリ:三菱自動車工業



三菱自動車工業 代表取締役社長


益子修



いち早く、


トヨタやホンダに先駆けて、



電気自動車を市場に投入することのできた三菱自動車。



社長の益子が、



電気自動車、iMiEV(アイミーブ)を他社に先駆けて、



三菱から発売できたのはなぜか?




   
   ”これからは環境を無視した自動車は売れなくなる。”と、



他社よりも、早く気づくことが出来たからか?




じつは、そんなカッコいい理由ではなかった。





益子が社長に就任した当時の三菱自動車は。。。



リコール隠しの発覚、


欠陥車による事故などで、


日本中から総スカン状態だった。


だれもが三菱は、もう終わった。と感じていた。


大規模なリストラを行わなくても、


会社に絶望した社員が次々と辞めていった。



辞める社員を引き留めると。。。



社員は、


”このまま会社(三菱自動車)に残ると。。。


 子供が。。。イジメの対象になる。”といった。


”こどもは、周囲から、人殺し会社とはやし立てられている。”と言われた。






三菱商事から


経営立て直しのために送り込まれた益子は、


バラバラになっていく会社の中で、


社内をひとつにするキッカケを探していた。



そして、そのきっかけが、


電気自動車iMiEV(アイミーブ)の開発だったんです。




益子修は、言う。。。


”まさか、電気自動車の開発中は、


 こんなに反響を呼ぶなんて想像していなかったです。


 それが、ここ1~2年で世界中の人々の車に対する考え方がガラッと変わり、


 強力な追い風となりました。


 わたしの実績というよりは、運が良かったんですよ。”




どこまでも、謙虚な益子だった。





三菱自動車の取引先の社長さんのひとりは益子のことを、


”益子さんに いやな印象を持つ人はいないと思いますよ。


 有能で、情に厚く、気配りの出来る人です。


 ”益子さんの為ならば”と思ってしまう人なんですよ(笑)”






益子修は、大学時代あまり目立つ存在ではなかった。



当時盛んだった学生運動にも無頓着だった。



就職も、


”東京勤務が多い”という、つまらない理由で三菱商事を選んだ。



益子自身、



”ふつうの学生でしたよ。”と語っている。



高校時代の同級生たちに印象を訪ねても、


”おぼえていないなぁ”という答えが返ってくるような存在だった。




ところが、


三菱商事に入社し、益子修は、ガラッと変わる。




三菱商事1年目、入社間もないころ、


沖縄国際海洋博覧会の交通システムの入札があった。



三菱商事は、アメリカ系企業と共同で入札に参加した。



益子は、それまで。。。



アメリカ人は、あまり仕事をしない。という印象を持っていた。



しかし、半年仕事をしてみると、


益子のイメージは吹き飛ばされた。



一緒に仕事をしていたアメリカ人は、



日本人たちが集まって昼食をとっている最中も、


サンドイッチ片手に、仕事をやめなかった。


ものすごい仕事の進め方だった。




また、


あるプロジェクトでは、


相見積りで負けてしまい、


上司から、人格を否定されるほど罵倒された。




こうやって、


三菱商事の苛烈な職場環境のなかで、


益子修はメキメキと力をつけていった。




益子修を知る部下の話によると。。。


”益子さんは、会議の場でも、食事の場でも、


 二つ以上の仕事を同時にしていた。


 普通の人が3時間かかってやる仕事を、


 益子さんは1時間で正確にこなしていましたよ。”






益子修が、


三菱商事、韓国駐在員時代の話



益子のもとに、東京本社から連絡が入る。


”韓国の現代グループ子会社が中東で大きなプロジェクトに着手する。


 おそらく関係の深い日野自動車からトラックを購入するつもりだ。


 その商談を、自工(三菱自動車工業)へ誘導しろ! ”




ほとんど決まりかけた取り引きに首を突っ込み、


横取りしろ!という命令だった。


だれもが無理だと思った。。。



なぜなら、


韓国の現代グループと日野自動車との関係は深く、


しかも


現代グループの希望するトラックは、


積載量60トンクラスの大型トラックだった。


当時の三菱自動車には、そんな大型トラックはなかった。


三菱のトラック積載量は、せいぜい30トンクラスだった。



益子は、


正面玄関から交渉にいっても、


おそらく担当者同士の間で、ほとんど商談は成立してしまっていると考え、


なんと大胆にも、


現代グループ創業者のもとへ直談判に行った。


そして、益子は、


”三菱には60トントラックは一台もございません。


 
 30トントラック2台でどうですか。”と、ぬけぬけと言い放った。



結果、


三菱商事は、現代グループから1000台以上のトラック受注に成功するのだった。






こんなスーパーなビジネスマンの原点はなにか?



益子修は言う。


”母親かもしれない。”


”母は、



”会社で自分が正しいと信ずることが通らないのなら、



”生活のために残ることはありません。”と話しておりました。



母親は、古い人だったけれど、



この言葉はずっと わたしの心の支えになっております。”







益子が来る前の三菱自動車の前社長、多賀谷は言う。



”以前の三菱は、企画や開発が立場的にえらく、


 販売は意見が言えるような雰囲気ではなかった。


 しかし、いまの自工(三菱自動車)は、風通しがよく、


 だれもが自由に話のできる雰囲気があり、一体感がある。


 これは益子さんの業績だと思う。”




まさに彼は、 ” 桃李不言下自成蹊 ”な人ですね(笑)。




”桃李ものいはざれども、下おのづから蹊を成す ”




”桃李不言下自成蹊” の意味は、



桃李というのは、”すもも”のことです。


草が生い茂っているところに、


すももの樹が立っているところを想像してください。



すももの樹は 当たり前の話ですが、おしゃべりすることはありません。


でも、スモモの樹は、やがて美しい花を咲かせます。


すると、


どこからともなく、


人々が、美しい花を眺めようと、すももの木の下に集まってきます。


そうやって、年々繰り返されるうちに、


その すももの樹の下に小道ができてくるのです。



つまり、


仁徳のある人のところへは、自然と人があつまってくる。という意味になります。



                                       完






 
 


 





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Last updated  2010.02.06 16:16:23
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