中学受験が残した爪あと
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ちょっと暗い内容ですが 中学受験についてわたしなり考えてみましたわたしは受験戦争に勝ち続けてきました母の熱意も それはそれは ものすごいものでした第一子 YESman(woman?) 指示待ち人間の わたしにとって それは絶対的なものでした うまくいきましたパチパチ・・ と 約20年前に 勝利に終わったと思われた受験戦争いえいえ そうは問屋が卸しませんでした・・ まだまだ続いておりました・・今度は 我が子への子育て ですずっとずっと 【受験生である子どもの延長の自分】 と 【受験生の母である自分】このふたつの立場で 戦ってきました【受験生である子どもの延長の自分】 として自分の意思で決めたい! ⇒ 決めさせたいしたいことをさせて! ⇒ させたいやさしい話のわかるお母さんで居て! ⇒ フレンドリーにしたつもり がんばってるわたしも認めて! ⇒ 認めたつもりなのに【受験生の母である自分】 として 環境は親が整えなくちゃ! ⇒ 厳しい環境も勉強の出来る環境も与えたわ子どもの判断だけじゃ流れていく ⇒ 結果 親の言うとおりにさせちゃったわ怠惰なだらしない生活は許さない! ⇒ それは厳しく言いましたもっともっとできるはず! ⇒ それが 不機嫌&叱る という表現になっちゃった思いっきり 矛盾した態度だったと思いますなにより わたしの理想とする母親像 と 反する 母の大ッ嫌いな部分と同じ母親像 の両方がわたしの中にあって それに苦しんだのは 娘でもない 誰でもない 【受験生である子どもの延長の自分】 だったようです今回受験を娘にさせて 結果はだいたいわかります【受験生である子どもの延長の自分】 はわかりますこんなもんじゃなかったもの!いろんな我慢を重ねて 戦って得たものだもの!でもそれをさせなかったのも 【受験生である子どもの延長の自分】 で・・勝利への道に相反することを 【受験生である子どもの延長の自分】 は 娘へ与え続けました“わたしの母”が 受験友だちママたちの中に たーくさんいました【受験生である子どもの延長の自分】は 興ざめしていましたひいていました怯えていました今回の 娘の受験 は わたしの受験の続き でもありました話はちょっとずれますが 世の中の“二世○○”と 呼ばれる方々が 成功しにくいわけが わかった気がします そもそも 成功した方は “二世○○”なんて言われませんよね(笑)その方の親を “△△の母” と呼びますものね例えば “宇多●ヒカルの母” ってそうすれば 《血統》だの 《血筋》だの 初めて言われるそうでなければ 《親の七光り》 と言われちゃうシビアなお話です・・