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テーマ:小学生の勉強(1316)
カテゴリ:教育について
一学期が終わり、娘が通知表をもらってきた。
私があまり勉強を見てあげることが出来ていないことを考えると 娘が自力でどれだけ努力しているかが分かる成績だった。 成績はともかくとして、 通知表を見ていて気になることがある。 今の通知表は丸、二重丸、三重丸の3段階評価。 (3年生のときは三角、丸、二重丸だった気がする) 学校によって多少、付け方が違うのかもしれないけれど、 共通しているのは、×をつけないということ。 どうでも良いことなのかもしれないけど、 よく考えると、なぜこんな付け方になっているのか不思議。 普通に考えれば、3段階にするなら○△×かABCで良いのでは。 子供に×やCを付けたくない。 それは、もしかしたら、やさしさなのかもしれない。 でも、それは間違ったやさしさだと思う。 ×がついたらそれで終わりという誤った考え方がその根底にある気がする。 通知表というのは子供の成長をあらわすもの。 成績は身長や体重と同じ。 今の状態はこうだということをあらわしているだけ。 ×はまだ伸ばせていないところを示しているだけ。 将来、その子の夢をかなえるときに必要なものなら、 頑張って伸ばせば良い。 必要ないものなら、そのままにしておいても良い。 そういう判断に使うためにも、 通知表は、まだ足りないところを「足りないよ」と ちゃんと伝えてあげないといけないと思う。 足りないところに○をつけて本当にそれが伝わるのかなあ。 これから先、受験があり、社会の中での競争があり、 どこに行っても評価や競争から逃げられない。 子供が傷つかないようにと、 競争や順番を意識させない環境で育てておいて、 いきなりそんな競争の世界に放り込まれたら、 あまりのギャップに立ちすくんでしまわないだろうか。 世の中にはいろいろな分野がある。 学校では習わない能力を必要とすることもたくさんある。 すべての分野で一番になる必要はない。 自分には何が出来るのか。 自分は何が得意なのか。 それに気がつけば良い。 そして、通知表の成績が悪いところは、 「まだ伸ばしていないところ」 「これから伸ばせるところ」 「これから頑張らなければならないところ」 を教えてくれていると考えれば良い。 車のスピードメーターが30kmを指しているからといって、 その車は時速30kmしか出せないとは考えない。 今時速30km出ていると考えるはず。 もっと速く走る必要があれば、アクセルを踏めば良い。 そのままで良ければ、そのままのスピードで走れば良い。 時速40kmを切ったら表示が「少し遅めです。」 なんて表現に変わったら、 怖くて車を運転出来なくなる。 通知表もこれと同じだと思う。 本当のやさしさって何だろう。 本当に子供のことを考えるとはどういうことなのだろう。 そんなことを通知表から考えてしまいました。 ちょっと考えすぎなのかなあ。 【関連ブログ】 出来ないのか、まだ出来ないのか ここまで出来た 戦わないことと負けないこと お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月20日 10時02分35秒
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