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カテゴリ:マンガ・アニメ・ゲーム
漫画家を経て、創業者の兄・竜夫さんらとアニメーション制作会社「竜の子プロダクション」を設立。後に社長を務めた。「科学忍者隊ガッチャマン」「昆虫物語みなしごハッチ」「タイムボカンシリーズ」「新造人間キャシャーン」など、様々なタツノコ作品で監督やプロデューサーを務めた。
私は 1973年入社・・・ 親が正社員なら どんな会社でも良いと言ったので新聞広告で正社員を募集してた。最後の正社員募集でもあった。ガッチャマン・キャシャーン・みなしごハッチ・いなかっぺ大将・・・視聴率も良く、全盛期だったと思う。 ホントは手塚先生の虫プロが良かったが倒産してしまった。 父は、名作アニメの日本アニメが好きだったが~(宮崎駿さん ジブリ) 絵柄に関しては、ガッチャマン キャシャーンはアメコミっぽくて これをアニメで動かすのは凄いと思ってた。当時の吉田竜夫社長が描く、これらはホント上手で美しかった。 九里一平さんが描いたものは ちょっとアクが強い感じでした。 それだけに 主役じゃない2番手のコンドルのジョーを描いたものは迫力があった。 後にタツノコのアニメ第一作目の宇宙エースのキャラデザインが 九里一平さんと知り、幅広いデザインができるし、紅三四郎の漫画も描かれてて、やはり兄弟で天才的に絵がうまいと思った。 可愛い絵柄 とにかく入社したが、自分が絵の実力がどん底だと思い知った場所でもある。 私の仕事は 脚本を渡され幼児学習雑誌の短編マンガにすること。 タイムボカンは4コママンガ・・・下手くそだったが ヤッターマンでは悪役を主役にしたら 幼児雑誌の売れ行きが良く、天野喜孝さんが僕には出来ない仕事と言ってくれた。 吉田竜夫社長が45歳でなくなり、葬式に手塚先生もいらした。手塚先生も病で大変と言われていた。社長亡き後、タツノコを辞める人が続出・・・ ガッチャマン2の制作で 私も過去作品ばかりでの商売に嫌気を感じて退社したが 九里一平さんが3代目の社長になり、やめた上部の社員が戻ってきたりで 「赤い光弾ジリオン」がアニメ大賞を取るなど 嬉しいことでした。 10年前、タツノコ創立50周年の品川のホテルでの 盛大なパーティに正社員だったことで呼ばれ、品川在住だったので自転車で行きました。 新婚の頃は夜の忘年会に新妻がいくなど家の恥と言われて、忘年会を兼ねた小学館の漫画賞授賞式に行けなかったが強くなってたようだ。 妻は夫の嫌がる理解できない趣味や仕事をしていけない。・・・ 散々貶められたが・・・紐になりたいと言うような夫の言いなりに なってはいけなかったのだ・・・母のお気に入りの元夫は 私には疫病神でした。相手もそう思ってるでしょう・・・・ なんだかタツノコ時代の友達に会いたくなってきた。
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