おいらたちにできること
友人の日記を読んで、考えさせられることが多かったので、おいらも日記に書いてみようと思った。先日、小学六年生の女子児童が友人を殺し一大事件となってずーっと報道されている。学校側では再度命の大切さについて子供達に知らせていきたいと言う。でも、これはとっても難しいことだと思う。出来ないと言うことではなくて、なんと言ったらいいのか、言葉で伝えようとすればするほど空虚な感じになってしまうのだ。おいらは幼少期の情緒の著しく発達する期間に長く携わる保育士という仕事をしているが、子供の情緒の発達を援助することほど難しいことはないと思っているし、とても大事な事なので大切に育てていくように努力もしている。虫探しをしたり、泥んこ遊びをしたり、草木を育てたりして、そういう経験をたくさんする中で、命の尊さをその年齢なりにわかりやすく話し掛けたり、体感できるようにしているつもりだ。喧嘩の仲裁にしても、ただ頭ごなしに中止をするのではなくて、どうしてけんかになったのか、本当はどうしたら良いのかなど考える場を与えたりと日々すごしてきている。ただ、それも空回りすることが多いのも事実だ。何度いって聞かせても言葉は心の表面上を滑っていくだけで、心の内面にまでなかなか届いていないと実感することが多いのだ。でも語りかけるのを止め、子供に接することを止めてしまったら、それこそそのこのためにはならないと思う。昔は、自分の子供だけでなく近所の子供にも分け隔てなく接する大人が多く、また大らかにすごせる時代だったたとも思うが今はどうなのだろう。大人は子供達の見本となるような行動を見せているのだろうか?どこかで自分の行為を恥ずかしいと思っているから、悪い事は悪いと注意できないのではないだろうか。相手の親が逆恨みして怒鳴り込んでくるのもも恥ずべき行為だと思う。子供は大人を移す鏡だとよく言われる。今回の事件も、友達の家に起きたことも、大人の社会の大きなゆがみが映し出されているのではないだろうか。もちろん子供には子供の独自の世界観があり、すでに一個の人格としての責任もあるのだから、事件を起こしてしまった子はそれ相当の罪を償わなくてはいけないと思う。でも、それだけではなく、おいら達は、子供が明るく健全に過ごせる世の中にするためには、自分自身が子供の模範となるべき行動をとることが大事なのではないだろうか。(無理し過ぎない程度に・・・)とりあえずおいらが出来ることと言ったら、近所の子供を見かけたら元気よく挨拶したり、悪戯をするのを見たら注意できるようにしたいな。なんだかえらそうなことを書いてしまったが、少しでも多くの子供とかかわりをもって、楽しく毎日を暮らしていくことを知らせていきたいなーと思うのだ。