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カテゴリ:音楽
亭主は週日の起床から出勤までの時間帯、大体ラジオをかけっぱなしにしています。朝古楽(後半しか聴けず)が終わるとAMラジオに切り替えてしまうことが多いのですが、たまにFMに合わせることも。最近も何かの弾みでFMに切り替えたところ、表題の作品からの1曲が流れてきました。演奏はV. アシュケナージで、亭主が持っているCDと同じ録音からのもの。久しぶりに聴いたせいか、とても新鮮に感じられました。 そこで、この週末に思い出したところで件のCDを棚から取り出し、再生しながら改めてライナーノートなどを眺めたり、ネット上で調べものをしたり。 題目を見ればすぐに想像されるように、この作品はショスタコーヴィッチが父バッハの「平均律クラヴィーア曲集」に触発されて作曲したことが知られています。その契機になったのが1950年、バッハの没後200年の記念の年にゆかりの地ライプチヒで開かれた、第1回のバッハ・コンクールです。ショスタコーヴィッチは旧ソ連の代表団を率いて参加し、コンクールの審査員も勤めています。 その栄えある第1回の優勝者は、自国出身のタチアナ・ニコラーエワ。亭主のような世代にはバッハ弾きのピアニストして夙に名を知られた大家ですが、当時はまだ20代半ば。とはいえ、ショスタコーヴィッチは彼女の演奏に大いに感銘を受けたようで、これが表題の作品へとつながったようです。(実際、作品は彼女によって全曲が初演され、彼女に献呈されています。) ショスタコーヴィッチといえは、もっぱら交響曲や弦楽四重奏などが有名ですが、彼は先日から話題になっているショパン国際ピアノコンクールの第1回(1926年)に参加して入賞するなど、ピアノもスゴ腕だったことが知れます。その割には鍵盤作品はそれほど多くないものの、この「24の前奏曲とフーガ」 は間違いなく彼の傑作の一つと言ってよいでしょう。(20世紀の「平均律」とも呼ばれているそうです。)その分、全曲を通しての演奏には高い演奏技術と集中力を要し、演奏会で聴く機会はおろか、CD録音も限られています。 亭主がアシュケナージのCDを購入したのは今から20年あまり前、1990年代の終わりで、どういう経緯だったかは記憶の彼方ですが、当時はまだ豊富にあったピアノによるバッハ演奏のCDを聞きカジっているうちに出会ったと思われます。第1番の前奏曲は、ハ長調の和音連結で始まる通奏低音のような簡素な曲ですが、冒頭の数小節は一度聴いただけで記憶に残る美しさです。(解説で、それがサラバンドのリズムであることを指摘されて、今頃になって「あ~確かにそうだ」と膝を打つことに。) この曲集で面白いのは曲の並びで、バッハのように同名調の曲(例えばハ長調とハ短調)を対に配し、対ごとに半音ずつ調を上げるのではなく、平行調(同じ調号を持つ長調と短調)を対にして、5度圏上を移動して行きます。具体的には、第1・2番はハ長調・イ短調、次の第3・4番はト長調・ホ短調、という具合です。ショパンの24の前奏曲などに先例があり、それに習ったのではないかとのこと。 改めてアシュケナージの音盤を聴くにつけ、亭主はこの曲集の最大の魅力がフーガの方にあるのではないかと思いはじめました。バッハのフーガはいかにも「それ用の主題」に基づいていて、時として耳よりは目を楽しませる(あるいは数学的な美意識を満足させる)ための作品に思われる(なので聴いて楽しいとは限らない)こともしばしばですが、ショスタコーヴィッチのそれはそのような細工物という感じがあまりなく、絡み合う旋律がとても綺麗に響きます(例えば、ラジオでも流れていた第20番など)。もちろん前奏曲も魅力的で、いかにも彼らしい和音や音列、さらには独特のリズムがスパイスのようによく効いています。 時には父バッハからの引用かと思われる作品もあり、例えば第5番のフーガは、バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻の第5番と同じく、主題が特徴的な同音連打からなる点がよく似ています。(同じ第5番であるのも何か意味ありげです。) それにしても、調性音楽が前世紀の遺物のような扱いを受けていた20世紀半ばのクラシック音楽界の前衛にあって、父バッハの器を借りて調性音楽に新しい響きを盛って見せたショスタコーヴィッチさん、草葉の陰で父バッハも大いに喜んでいることでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 12, 2021 08:48:46 PM
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