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カテゴリ:音楽
先日に引き続き、藤原一弘さんによる「古楽の楽しみ」レオンハルト没後10周年に因んだ企画の第5回(最終回)放送分を文字起こししましたので、以下にアップします。
* * * * * 古楽の楽しみ ▽グスタフ・レオンハルトの軌跡(5) [ご案内:藤原一弘/レオンハルトによるバッハのカンタータやカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品を中心にお送りします。] …グスタフ・レオンハルトの幅広い活動の中から、今日はバッハの音楽を中心にご紹介してまいります。ご案内は藤原一弘です。 50年代初頭から開始されたレオンハルトの演奏活動の中で、70年代と80年代のおよそ20年の長きにわたり、ウィーンで知り合ったニコラウス・アーノンクールと共同で行われたのが、バッハの教会カンタータの全曲録音でした。このプロジェクトにより、古楽界全体の、とりわけ弦楽器と管楽器の演奏水準が高められたことにより、こんにち様々なアンサンブルが行う、歴史的楽器によるバッハのカンタータ演奏の、優れた演奏の礎が築かれたのでした。1980年、レオンハルトとアーノンクールはこの録音により、歴史的楽器、楽譜、資料の研究を通じて、バロック音楽の解釈に新たなモデルを確立した、その功績からエラスムス賞を受賞しています。 では、このカンタータ全集から「神が罪人を罰するとしても雄々しくありなさい」と、キリストを信じる者たちに力強く呼びかける合唱と、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ実を結ぶことがない、われらもまた死して後栄光に至る」と歌う、ボーイソプラノのコラールをお聴きいただきましょう。ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲、カンタータ第114番「ああ愛するキリスト者よ、なぐさめを受けよ」、バッハ作品番号114から、第1曲合唱と第4曲コラール、演奏はボーイソプラノ、セバスティアン・へニッヒ、ハノーバー少年合唱団とコレギウム・ヴォガーレ、そしてレオンハルト合奏団、指揮グスタフ・レオンハルト、1980年の録音です。 * * * * * 次に、無伴奏弦楽器のための作品を、レオンハルトがチェンバロ用に編曲した演奏をお聴きいただきましょう。バッハは自作の無伴奏ヴァイオリンのための作品を、自らクラヴィアで演奏し、その際ヴァイオリン演奏の場合よりはるかに多くの和声を加えた、というバッハの弟子アグリコラの証言から、レオンハルトも自ら無伴奏作品の編曲に取り組みました。 これからお聴きいただく無伴奏チェロ組曲第6番は、やや小ぶりのチェロ、ヴィオラ・ポンポーザあるいはヴィオロンチェロ・ピッコロのために書かれた作品です。繊細なアルマンドは、その高音域の美しい旋律線が、チェンバロの輝かしい最高音域に生かされており、また原曲では暗示に過ぎなかった和声が、美しい不協和音によって補われ、絶妙な陰影が施されています。クーラントは、快活なリズムの扱いによって、スポーティーとさえ呼びうる、弾く喜びがはじけるような編曲です。サラバンドは、後半のなめらかなレガートが美しく、ジーグは元のメロディに加えられた、機知に富む対旋律が、原曲に更なる快活さを増し加えています。ではお聴きください。ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲、無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調、バッハ作品番号1012のチェンバロ編曲から、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、演奏はグスタフ・レオンハルト、1984年の録音です。 * * * * * この編曲は困難だったか、との問いに、レオハルトは楽しくて容易だった、と答えていますが、名曲を自分の楽器で思う存分弾ける喜びが溢れた演奏でした。 演奏からも、チェンバロという楽器への愛情は十分に伝わってきますが、弟子の一人スキップ・センペの伝える話によると、彼は新しく手に入れた17世紀フランス様式のクラヴサン、レオンハルト曰く「私の小さな赤いクラヴサン」の写真を、あたかも子供の写真かのごとく、財布に入れて持ち歩いており、しかも長いこと携えていたので、既にヨレヨレになっていたそうです。スカルラッティ、あるいはドラキュラ伯爵のような面持ちのレオンハルトの、チェンバロへの深い愛情を伝えるエピソードです。 では次に、カンタータ全集で彼が担当しなかったカンタータを、後に録音した演奏をお聴きいただきましょう。新年のカンタータ、第41番から「われらの地上の生活に、既に尊い平安を与え給うた神に、なおも魂を救う神の言葉を祈り求める」テノールのアリアです。数あるバッハの教会カンタータのアリアの中でも、とびきりの名曲、一度聴いたら忘れることのできない演奏です。ではお聴きください。ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲、カンタータ第41番「たたえよイエスを」、バッハ作品番号41から、第4曲のアリア「なんじは尊き平安を」、演奏はテノール、マルクス・シェーファー、ヴィオロンチェロ・ピッコロ、ウォーター・メラー、そしてバロックオーケストラ、指揮グスタフ・レオンハルト、1995年の録音です。 * * * * * いわば落穂拾いとして、彼がこのカンタータの演奏を残してくれたことに、感謝せざるを得ません。 さて、チェンバロ・オルガンの専門家しか演奏しないような、知られざる16世紀、17世紀の作曲家の鍵盤音楽のみを集めた楽譜叢書を手に取ると、たまに出版後の訂正などを記した紙片が、表紙裏に貼り付けられています。ある時、レオハルトから初版の誤りを指摘するアドバイスを頂いたので、感謝とともにここに訂正を記す、という一節を目にしたことがありました。決して有名ではない作曲家の楽譜も、常に興味を持ってひもとき、しかもオリジナルの資料と比較して、誤りの可能性があれば、謙虚な姿勢でこれを校訂者にアドバイスを与えるという、日々の教育活動、録音ツアーの忙しい最中にも、倦むことなく、まだ知らぬ優れた音楽の本来あるべき姿を求め続ける姿勢には頭が下がります。 ではここで一曲、バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品を、クラヴィコードによる演奏でお聴きください。演奏で用いられるクラヴィコードは、マルティン・スコヴロネックが製作した楽器で、蓋裏に植物の葉が風に舞う様がシノワズリで描かれた美しい楽器です。静かな楽器というイメージのクラヴィコードが、レオンハルトの手によりダイナミックな音楽を表現する器として活かされる様をお楽しみください。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ作曲、ソナタ第4番ニ短調ヴォトケンヌ番号51-4、アレグロ・アッサイ、ラルゴ・ソステヌート、そしてプレストの3つの楽章からなります演奏はグスタフ・レオンハルト、1988年の録音です。 * * * * * 鏡のように凪いだ海から、荒れ狂う嵐の海原まで、クラヴィコードという楽器の持つ表現の幅広さを思い知らされる演奏でしたね。 いよいよ最後となりました。再びヨハン・セバスティアン・バッハによる合唱曲をお聴きいただきましょう。1727年に逝去したザクセン選帝侯妃、クリスティアーネ・エーベルハルディネのための追悼音楽から、合唱「されど侯妃、おん身は死に給はず」です。 中部ドイツ・ザクセンの生活は、元来ルター派の信仰に深く根ざしていましたが、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世は、領土拡張政策からポーランド王として即位するために、カトリックへと改宗してしまいます。しかし、エーベルハルディネは断固改宗を拒否し、ルター派の領民を生涯保護したことから、彼女はザクセンの民に深く敬愛されたのでした。追悼の歌詞を文豪ゴッドシェートが書き、バッハが作曲した追悼音楽の終曲「されど侯妃、おん身は死に給はず」では、「侯妃こそ徳の化身、臣下たるものの喜びにして誇り」という歌詞がユニゾンで歌われます。多声音楽の大家バッハが、ザクセンの民が心と声を一つにして歌うということを表すため、あえて一本のメロディーに民の心を込めたのです。ではお聴きください。ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲、カンタータ「侯妃よ、さらに一条の光を」、バッハ作品番号198から第10曲「されど侯妃、おん身は死に給はず」、演奏はハノーバー少年合唱団とコレギウム・ヴォガーレ、そしてレオンハルト合奏団、指揮グスタフ・レオンハルト、1988年の録音です。 * * * * * 古楽の楽しみ、今週は「グスタフ・レオンハルトの軌跡」と題して、様々な国と時代の音楽を通じて、幅広いレオハルトの活動の一端をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。チェンバロ、オルガン、クラヴィコード、フォルテピアノの演奏、アンサンブルを支える通奏低音の演奏、さらに指揮、楽譜の校訂と、かつてのバッハやモーツァルトがそうであったように、広範な音楽活動をこなす、総合的な音楽家としてのレオンハルトこそ、今日の古楽界の様々な演奏家の、多彩な活動の先駆けといえるでしょう。この放送を機に、レオハルトの残した演奏が、ますます多くの人に聴いていただければ幸いです。それでは皆様、どうぞよい1日をお過ごし下さい。今週のご案内は藤原一弘でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 19, 2022 04:31:38 PM
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