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カテゴリ:音楽
ピアノ組曲「展覧会の絵」は、作曲者ムソルグスキーが、親友だった画家、ヴィクトル・ハルトマンの急死を受けて開催された遺作展を見に行き、その中の十点の絵からインスピレーションを受けてモノした作品として知られています。 絵画から絵画へと移動しながら鑑賞する様子を「プロムナード」で表現し、絵画から受ける印象を「音の絵」にする、というアイデアも斬新ですが、音楽自体もとびきり個性的です。中でも特に印象的なのが表題の終曲。楽譜面は単純な和声進行のように見えますが、音にした途端にさまざまなイメージが交錯し、大伽藍の中で空想のオルガン(あるいは合唱)や鐘が鳴り響く感じがします。ラヴェルが原曲に触れて、あの壮大なオーケストラ音楽を即座に喚起されただろうとも想像できます。 亭主がこの曲に出会ったのは、まだピアノを習い始めて3-4年ぐらいの中学生の頃。当時も今もラヴェルによる管弦楽編曲版の方が有名ですが、亭主は何かの機会にピアノ原曲の演奏に初めて接し、まさに圧倒されるような衝撃を受けたことを今でも思い出します。 何しろ本邦の「ピアノのお稽古」で取り上げらる作品は基本的にドイツ音楽、それも技術的にとっつきやすい古典派からベートヴェン、シューベルトぐらいまでが主で、ある程度腕が上がったところでメンデルスゾーンやシューマンといったロマン派の作品が提示されます。最後に技術的な最高峰の教材として登場するのがショパン、リストあたり。「展覧会の絵」は昔から全音版の楽譜(作曲家・奧村一氏のやさしい解説が付いている)が容易に入手可能で、このレベルの作品として曲名が上がっていますが、ピアノの初心者から見ると一連の「オーソドックスなクラシック音楽」とは全く別ものの印象でした。 そのインパクトがどのぐらい凄かったかを思い起こさせるのが、中学時代の同級生K君のエピソード。ある時彼と音楽談義になり、亭主がピアノのレッスンを受けていることをコクると(当時ピアノ男子は稀な存在なので秘密にしていた)、K君曰く、自分はピアノを習っていないが、今熱中して練習している曲がある、と言います。何の曲かと尋ねて返ってきた答えが「展覧会の絵」でした。この曲が技術的に難曲であることを知っていた亭主は、「そんなの無理だろう。ピアノはやっぱり段階を踏んで訓練を積まないと弾けるようにはならんさ」と小バカにしてしまいました。 ところが後日、彼は亭主を学校の音楽室に呼び出し、何とそこに置いてあったピアノで「展覧会の絵」冒頭のプロムナードを弾き始めたのでした。これには亭主もびっくり仰天。確か初めの数曲を弾いたところで「まだここまでしか練習できていない」とおしまいになりましたが、彼が本気であることを即座に理解するとともに、前言を恥じることに。 演奏するK君の手元を見ていると、その指使いや手の動きは明らかに自己流で、そのせいで余計に難しくなっているようにすら感じられましたが、それが逆に「この曲をどうしても弾きたい」という彼の情熱の凄まじさを表しているように見えました。 思うに、「展覧会の絵」に限らず、ムソルグスキーの音楽は、予定調和的な自然さを拒むという点で、表現主義的な芸術の典型だと感じられます。彼を含む「ロシア五人組」などの音楽は、「民族主義的」音楽として独仏伊の西洋クラシック音楽と対比させる構図がよく用いられますが、これは芸術の普遍的な一形態である表現主義を、民族主義という殻の中に閉じ込めることで、政治的な色眼鏡を掛けさせるだけのようにも見えます。 古楽に深く親しむことのご利益の一つは、こんにちクラシック音楽と呼ばれる音楽も、元を辿れば「民族音楽」に過ぎない(しかもそれぞれの民族音楽は相互に影響し合い、入り混じっている)という真実を学べることです。これは想像力の解放でもあります。 ハルトマンやムソルグスキーがインスピレーションを受けた「キエフの大門」こと「黄金の門」、実は1240年にモンゴル帝国によって破壊されたとのこと(現在のものは1982年の建造物)。ハルトマンが描いたのは想像上の門だったわけです。形あるものを壊すことはできても、人間の想像力を阻むことはできないことを芸術家は示してくれます。 現下、キエフでは砲弾が飛び交っている(?)ようですが、この愚かな行為が1日も早く沙汰止みになることを祈るばかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 27, 2022 07:01:26 PM
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