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カテゴリ:音楽
亭主がピアノのレッスンを受けていた1970年代から、大学で音楽サークルに属していた1980年代初頭まで、クラシック音楽の世界には奇妙な男女の偏りがあることが気になっていました。
まず、レッスンを受けたピアノの先生は全員が女性。これはヤマハ音楽教室の先生にしろ、個人レッスンにしろ同じです。実はこの状況、一世代(〜30年)を経たウチの子供らについてもほとんど同じで、ピアノに限らず他の楽器についてもレッスンを受けるのは女性の先生からの機会がずっと多い感じでした。 一方で、プロのピアニストでは男性の方がずっと多く、人気も女性より高め(?)のようでした。(もっとも、これは鶏と卵の関係に似て、人気商売なので聴衆の好み[意識]を反映した結果なのか、それとも実力の差なのかは不明ですが。) もう一つ気になっていたのが、ピアノ音楽のレパートリーについての認識です。学生時代にドビュッシーやラヴェル、さらにはフォーレなどにドはまりしていた亭主にとって、今でも耳にこびりついている音楽サークルの上級生の言葉があります。曰く、「フランスものはオンナ子供に任せておけばよい。やはりクラシック音楽の王道はベートーヴェンなどのドイツ音楽だ。」この上級生は言うまでもなく男性。 音楽のレパートリーにまで「男女の役割分担」意識が発揮される、というのは驚きですが、周りをよく見るとこれは単に学生の軽口では済まず、プロの世界でもある程度まかり通っていたフシがあります(結局アマもプロの真似をする?)。亭主が足繁くコンサートに通っていた当時、演奏会でフランス音楽を取り上げるピアニストはやはり女性演奏家がほとんどで、男性ピアニストがそれをやると目立つほどでした。このような(無意識な)価値観についても、いまだに大して変わっていないのかもしれません。 要するに、クラシック音楽界でも性別役割分担意識が強固に支配している、と言えそうです。 もう15年ほど前になりますが、亭主は所属する学会で男女共同参画推進委員会の委員を勤めていたことがあります。その頃には、男女共同参画を進めるための戦略として「多数派である男性の反発を買わない」ことが重要で、男性に対して何かを要求するようなことは避け、もっぱら「困っている女性」を支援する制度(出産・育児支援、キャリア形成支援などといった施策)の充実を目指していました。とはいえ、これは女性研究者に「支援はするから今まで通りワンオペで頑張れ」、つまり「スーパーウーマンたれ!」と言っているに等しく、明らかに男女不平等な現状の固定化を助長するというジレンマに直面します。 もう一つの見落とされがちな視点として重要なのが、当時から少数いた(それなりに高い立場にいる)女性研究者の感じ方です。彼女らは、強固な性別役割分担意識に守られた「男性社会」で、誰の助けもなく自力で今の立場を獲得した、という強い自負があり(=スーパーウーマン)、前述のような女性研究者支援に対しては、逆差別ではないかという反発(自分達の苦労に比べ、今の若い連中は甘い!といった感情)は小さくありません。ところが、男女共同参画推進で「ロールモデル」となり得る女性となるとやはり彼女らしかいない、というわけで、何ともやりにくい状況です。 結局、我々の世代の委員の間で出来上がった共通認識は、「男女共同参画推進の本命は『働き方』改革である」でした。なぜなら男性社会とは「職員に長時間労働を強いる」社会で、それを成立・機能させてきたのが性別役割分担だからです。そして、その後の展開は読者もご存じの通り。「働き方改革」によって、特に若い世代では男女格差は急速に縮まりつつあります。 翻って、クラシック音楽界の「男女共同参画」度はどうなのか、例えば日本を代表するオーケストラの団員比率をそれぞれの公式ホームページで調べると以下のようになっています。 ・NHK交響楽団:団員数=112、うち女性26 ・読売日本交響楽団:団員数=101、うち女性27 ・新日フィル:団員数=87、うち女性34 ・東京交響楽団:団員数=87、うち女性38 ・日フィル:団員数=80、うち女性28 さらに、これらの楽団のコンマスはほぼ全員が男性。指揮者に至ってはなおさら男性優位です。(このような「定職」につけなかった音楽家志望のマジョリティが女性で、音楽教室や個人レッスンで頑張らざるを得ない、という構図が見えてきます。) また、先日このブログでご紹介した「音大崩壊」の著者は、この20年で若者の大学進学率は15ポイント近く上昇したのに対し、音大の入学希望者に大きな比率を占める女性の入学者数が激減したことを指摘し、いわゆる「花嫁修行」としての音大の存在理由はなくなりつつあると言います。つまり、若い世代の女性は「いざとなったら結婚して男性に養ってもらう」という役割分担への期待は希薄で、確実に定職につながる分野へと流れているということでしょう。 それにしても、やはり問題の核心にあるのは、男性側、特に昭和生まれ世代の意識の変わらなさ・古さです。残念ながら日本では、あと10年ぐらいはこの世代の男性(およびスーパーウーマン)が社会を牛耳る立場にあり、しばらくは男女共同参画の後進国という汚名を拝領し続けることになるでしょう。クラシック音楽界も多分例外ではありません。一方で、平成世代が中心的な役を果たし始めるその後については状況が大きく変わると思われ、期待したいところです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 18, 2022 09:55:34 PM
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