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カテゴリ:音楽
日本経済新聞の文化蘭には「私の履歴書」という連載コラムがあるのをご存知な方も多いと思います。中身は功なり名遂げた各界の著名人達が自身の半生を振り返る、というお定まりのものですが、相手が誰にしろ他人の人生を覗き見るのはなかなか興味深いことに加え、一人称で語るので思わず本音が飛び出す、という面白さがあります。
昨年暮れ、12月には30回にわたってイタリア人指揮者リッカルド・ムーティが寄稿しており、彼の生い立ちから始まって第2次大戦前後のイタリアでのクラシック音楽教育、さらには彼のキャリア形成に関わる個人的なエピソードや楽界のウラ話など、盛りだくさんな話題が提供されています。(わざわざ日本の新聞に寄稿することからもわかるように、ムーティは大の日本贔屓だそうで、日本のクラシック音楽ファンを愛してやまないようです。)残念ながらネットの無料会員が読めるのは月に10本までという制限があり、正月になって第11回以降の記事を読んでいたところ、第17回で彼がモーツァルトについて語っている記事が目に止まりました。 この回で、ムーティはカラヤンからザルツブルク音楽祭で「コジ・ファン・トッゥテ」を振らないかと持ちかけられたエピソードを紹介するとともに、自身のモーツァルトへの熱烈な賛美の念を表します。ところがその後、急に筆を転じて以下のような古楽批判を展開します。 モーツァルトの文献学的な研究は格段の進歩をとげ、現在はいわゆる古楽奏法が定着し、18世紀の楽器のコピーなどを用いるオーケストラも増えた。私は卓越した演奏でモーツァルトを得意とするウィーン・フィルと作曲家晩年の傑作、交響曲第40番、41番「ジュピター」を初めて演奏し、以来ウィーン・フィルと数えきれないほどモーツァルトの作品に取り組んできたが、このオーケストラは古楽器を用いない。この短い文章の中に見てとれるのは何とも古めかしい古楽観。特に、古楽を批判するに際して「博物館」という言葉を使うところなど、古楽に関する彼の認識が数十年前のレベルに止まっていることを端的に表しているように思われます。 これで思い出したのが、昨年11月の第2週に放送された「古楽の楽しみ」で紹介されたエピソードす。この週の担当MCは加藤拓未さんで、お題は「ライプチヒ聖トーマス教会音楽監督による演奏」。二日目(11月8日)は「ヨハン・セバスティアン・バッハから数えて15代目にあたる聖トーマス教会音楽監督、ハンス・ヨアヒム・ロッチュによる演奏」でしたが、そこでロッチュが当時の古楽演奏をどう見ていたかが紹介されました。その部分を文字起こしすると以下のようになります。 ロッチュは、1970年代後半から80年代の前半にかけて、バッハのカンタータを20曲ほど録音しました。1980年代といえば、ちょうど古楽器による演奏が次第に評価されるようになり、市民権を得るようになった時期です。そうした新しく台頭してきた演奏法に対し、ロッチュはどのような印象を持っていたのでしょうか。さるインタビューによると、そうした古楽器演奏はロッチュ自身もできる、とした上で、博物館的なイベントのように感じると評価しています。つまり、古楽器演奏はあくまでもバッハ時代の響きを体験してみる、という学問的な作業であって、今を生きる聴衆に向かってバッハを演奏することとは異なるもの、とロッチュは捉えていました。調べてみると、ロッチュは1929年生まれ、ニコラウス・アーノンクールと同じ年なので、古楽に対してもう少し理解を持ってもよさそうな気もします。ライプチヒが冷戦下で東西に分かれていたドイツの東側にあったことも考えると、そこではバッハを含むクラシック音楽も共産主義政治体制の一部に組み込まれていたと想像され、反権威主義な香りもする「西側」の古楽復興運動はある種の危険思想として遠ざけられていたのかもしれません。 いずれにせよ、このような「古楽=博物館的な復古演奏」という古楽観は1980年代以降にどんどん廃れていき、古楽が音楽に対する全く別のアプローチを意味することが理解されて今日に至っています。ムーティ氏の発言を眺めると、そのような数十年来の古楽の発展に対して彼が意識的に耳目を塞いできたかのよう。(カラヤンはアーノンクールを受け入れなかったことでも知られているので、これもカラヤンへの忠誠心の表れかも?だとすれば、「縦社会」であるクラシック音楽界の旧弊の一端かもしれません。) ちなみに、ムーティは1941年生まれ、英国古楽の雄、クリストファー・ホグウッドと同い年です。ホグウッドがムーティの発言を見てどう切り返すのか、是非とも聞いてみたいもの。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 9, 2023 03:45:56 PM
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