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カテゴリ:音楽
先週の夜のFM番組(ベスクラ)で、アレクサンドル・メルニコフのフォルテピアノによるリサイタル(2021年8月、ポーランド、ワルシャワのフルハーモニー・コンサートホールでのライブ収録)が放送されました。その曲目の中で亭主が耳をそば立てたのが表題の作品。だいたいロッシーニといえば、「セビリアの理髪師」や「ウィリアム・テル」などの代表作を思い浮かべるまでもなく、著名なオペラ作曲家というのが大方の認識です。その彼が鍵盤作品を残していたなどというのは、亭主にとってはまったくの初耳。しかも、流れてくる音楽はなかなか小洒落ていて、「無害な前奏曲」といったサティの作品のようなお題からも想像される通り、音楽による冗談めいたところもあって亭主好みな感じです。(他に「イタリア風無邪気さ、フランス風純真さ」、「わが妻への甘え」、「楽しい汽車の小旅行のおかしな描写」と、全部で4曲が演奏されました。)
ちなみに、「老いの過ち」(フランス語原題はPéchés de vieillesse)は、ピアノ独奏曲、声楽曲、室内楽曲などおよそ150曲からなり、全14巻で構成されています。ピアノ独奏曲はこれらの諸巻全体に散りばめられており、例えば前述の4曲は「無害な前奏曲」が第7巻、「イタリア風無邪気さ、フランス風純真さ」が第5巻、そして残りの2曲が第6巻に所収、といった具合。 この演奏会、ショパンや彼の同時代の音楽家の作品を取り上げるという趣旨で開催されたとのことで、あとで調べてみると、長命だったロッシーニの生涯(1792-1868)はショパン(1810-1849)やシューベルト、リスト、シューマン、メンデルスゾーンといったドイツ・ロマン派の面々のそれをすっぽりと包含し、ブラームスやワーグナーとも重なっています。一方で彼の生涯は、「20年弱の間に39曲ものオペラを作曲した後(最後のオペラは「ウィリアム・テル[イタリア語原題はギヨーム・テル])、37歳でスパッとその筆を折ってボローニャに引退し、美食三昧の余生を送った」と、人生後半はまるで音楽とは無縁だったかのようなまとめ方もされます。が、「老いの過ち」という大きな作品群の存在からは、どうやらこういう「まとめ」が不正確であるだけでなく、ある種の偏見に基づいたものであることを窺わせます。 というわけで、これらの作品に大いに興味をそそられた亭主、ネット上で調べてみたところ、アレッサンドロ・マランゴーニというピアニストによる全曲録音が比較的最近に(2021年)ナクソスからリリースされていたことを知りポチリ。この週末に届いたところで早速聴き始めました。 CD第1巻(2枚組)には、「老いの過ち」第7巻「草葺き小屋のアルバム」(全12曲)、および第9集より4曲が収録されています。(「草葺き小屋」の原題はchaumiére、英訳はコテージとなっているのでこちらの方がイメージが湧くというところか。)例によってお題がユニークなので列記すると以下のようになります。 1. Gymnastique d'écartement ストレッチ体操 2. Prélude fugassé フーガ風前奏曲 3. Petite polka chinoise 中国風小ポルカ 4. Petite valse de boudoir ブドワールの小ワルツ 5. Prélude inoffensif 無害な前奏曲 6. Petite valse 小ワルツ 7. Un profond sommeil 深き眠り - Un réveil en sursaut びっくりして目を覚ます 8. Plein chant chinois 中国の聖歌 9. Un cauchemar 悪夢 10. Valse boiteuse 不安定なワルツ 11. Une pensée à Florence フィレンツェでの想い 12. Marche 行進 どの曲も、お題のみならずその曲想や展開も自由自在といった感じで解放感があります。とくに亭主が「これは聞き覚えがある」と感じた旋律が出てきたのが第11番「フィレンツェでの想い」で、ショパンの「幻想即興曲」の中間部にある緩やかな旋律と瓜二つに聞こえます。(ショパンの曲が作曲されたのは1834年とのことで、ロッシーニはこの曲を知っていてパロディにしたのかも?) 最後に、この何とも興味深い作品群の背景を知る手がかりとして、CDに付いていたライナーノートの一節を以下に亭主訳で引用しておきます。 ロッシーニはこの作品を「Album de chaumière」と呼び、英語では「The Cottage Album」と表記する。このお題は、ロッシーニが嫌っていたロマン派絵画の石版画による複製や、甘い絵本を連想させる皮肉なものである。曲集はプロコフィエフのような皮肉と戯画が高次元で融合した12の作品で構成されている。「ストレッチ体操」(脚、腕、1、2、…..を開くための)では不穏な機械的擬音(ロッシーニのオペラ作品にもよく見られる特徴で、「アルジェのイタリア女」第1幕フィナーレを思い浮かべてほしい)が登場する。フーガ的前奏曲は、一つの作品が前奏曲かフーガかのどちらかであり、第3の道はないことを考えれば、これももう一つの怪物である…熟練していない作曲家が、前奏曲を書くつもりで始め、形式上の規則をよく知らずにフーガ的なスタイルを試す誘惑に負け続けている。第3番「小さな中国のポルカ」は、まったく楽しい小さな混成曲であり、「小さな寝室のワルツ」は、親密で感動的である。前奏曲がどのように、あるいはなぜ不快なものになるのかはわからないが、「無害な前奏曲」は確かにとても安心できる(少なくとも、そのように思える...)、まるで、指の訓練に適した、落ち着いた練習曲のような音形と、主に全音階に基づいた和声(またそう思える...)で、聴く人を慰めようとしているように見える。第6番の「小さなワルツ」というタイトル: “ヒマシ油 "というタイトルに由来する小さなリズムの飛び跳ねが背景にあるのだろうか。次の曲は、深い眠りから突然目覚めるという、まさに劇的なシーンを想定している。この録音では、2つの部分は2つのトラックに分かれている: 「深き眠り」と「びっくりして目を覚ます」である。ロッシーニはこのような順序を好んだ。コラールのような、葬送行進曲のような、あるいは瞑想的なエピソードの後に、より活気ある音楽が続く。同じような例は、「老いの過ち」第6巻(「すばしこい子どもたちのためのアルバム」)にもあり、「メメント・ホモ!」の後に「アッセ・ド・メメント:ダンソン」が続くという愉快なものである!(思い出せ、人間よ!...思い出すのはもうたくさんだ:踊ろう!)。ロッシーニがペンタトニック音階を使い、少し芸術的な自由を行使して作曲した「中国の歌謡」である。9番と10番はもっと問題がある: 不揃いなハーモニーとリズムがクレッシェンドする「悪夢」、さらに不吉なのが「不安定なワルツ」である。そして、「フィレンツェの思い出」の穏やかさと、「行進」の力強さで、この「草葺き小屋のアルバム」は幕を閉じる。(Quirino Principe) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 30, 2023 10:03:39 PM
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