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カテゴリ:音楽
先週の朝古楽では、藤原一弘さんを案内役に、5日間にわたって表題の曲が取り上げられました。
亭主が「フォルクレ」の名前や彼の音楽を知ったのは4年ほど前、ジャン・ロンドーが弾くLa Portugaiseという曲を耳にしたことがきっかけです。その後、ミッツィー・メイヤーソンの音盤を手に入れて聴き始めたところその魅力にハマってしまい、さらにはウジュル版の楽譜もネットで落手。しばらくの間、週末にハープシコードの前に座るたびにページを開いていました。 ところで、藤原さんの解説にもあったように、「フォルクレ」は二人いて、亭主が聴いたり弾いたりしていた作品、元は父フォルクレ(アントワーヌ)によるヴィオールのための音楽で、それらを息子であるジャン・バティストがクラヴサン用に編曲、出版したもの。その点は亭主も頭では分かっていたものの、普段から後者にばかり接しているうちに、いつの間にかこれらの曲は初めからハープシコードのレパートリーのようなものだという感覚に陥っていました。 今回の放送では、「元のヴィオール版」1曲がかかると続いてクラヴサン独奏のための編曲版もかかる、という構成が取られ、これまであまり聴く機会がなかった元のヴィオールの音楽がどのように実現されているのかを耳で確かめる格好の機会になりました。(とはいえ、これは本来とは逆コース…)また、このように両者を比較しながらの鑑賞プログラムは亭主が知る限り初めてで、クラヴサン作品を「編曲もの」としてみた場合の演奏のヒント(ヴィオールの音をイメージしながらの)を随所で得られた気がします。 例えば、3日目に流れた組曲第3番の中にある「アングラーヴ」。音が絡み合いながら幅広い音域を滔滔と流れる曲想を流麗に弾きこなすのは鍵盤上でも容易でない感じですが、それをヴィオール1丁、弓1本でとなるとなかなか想像できないところ。実際、ヴィオール版ではどうやらクイケン兄弟が2丁のヴィオールを繰り、クラヴサン(ロバートコーネン)が通奏低音をアシストする形での演奏だったようです。それでもクラヴサンで聴き慣れた音が野太いヴィオールの音として響いてくると俄然迫力アップ。特に跳躍や重音の部分、クラヴサンではそれほどの困難もなく弾けてしまうので、何も意識しないと平板な演奏になってしまいますが、ヴィオールの音をイメージすれば、グッとタメる感じに弾く方がイイ感じになりそう。(お若い頃のルセの演奏がYouTubeにあります[こちら]) そういえば、かつてカークパトリックはハープシコードの演奏にあたって「人の声を意識せよ」と指南していました。鍵盤上では3度や5度の跳躍は難なくできてしまいますが、人の声ではそうは行きません。おしなべて人間が感情移入できる音楽とは、人の歌唱と同じ抑揚やリズムの揺れを内包している音楽なのだ、とは、言われてみると当然な気もします。ヴィオールも含め、弦楽器が人の声に近いことも、楽器として愛される大きな理由だと想像できます。 というわけで、慌ただしく過ぎた先週を挟んで、2週間ぶりに古楽に浸って生気を取り戻した亭主でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 30, 2023 08:39:23 PM
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