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未音亭日記

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未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) tekutekuさんへ これまた情報ありがとうご…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) Todorokiさんへ コメントありがとうござい…

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August 14, 2023
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カテゴリ:音楽
今年もお盆となり、戦争と平和について考える季節となりました。例年であれば遠い昔の出来事と感じながら第二次大戦を回顧するテレビ番組のタイトル等を眺めているところですが、昨年来ウクライナで起きていることや近頃の台湾を巡る米中対立の報道を考えると、身近でリアルな戦争が何時起きてもおかしくない、と思われるところがいつもと違います。

そこでふと気になり出したのが、先の太平洋戦争中に音楽家、特に日本の音楽家たちがどのように行動したのか、です。グーグル先生に「太平洋戦争」と「音楽」の2語を入れて尋ねると、「昭和の作曲家たちー太平洋戦争と音楽」(秋山邦晴著、みすず書房、2003)という本がヒット。タイトルをクリックするとアマゾンのサイトに飛んで、表紙と梗概の記事が現れます。下にスクロースしてカスタマーレビューを見に行くと、ハンドルネームNadegataPapaさんによる「戦争中、日本の作曲家はどうしていたのか?」という長い書評に遭遇。その中で、山田耕筰についての驚くべき記事に遭遇しました。

問題の記述は同書第5章にあるようで、「指揮者の山田耕筰が憲兵、内務省、情報局と一体となって陰謀工作で楽壇の独裁を完成させたとしている」、あるいは「日響(N響)からユダヤ人指揮者ローゼンストックを追い出したり、音楽挺身隊なるものを組織し、ヒットラー気取りで黒シャツを着て、警視庁興業係の権力を背景に演奏家を強制加入させた」といったことが書かれています。

亭主も、山田耕筰といえば、「まちぼうけ」、「あわて床屋」といった北原白秋の歌に親しみやすい曲をつけた作曲家、あるいは日本のクラシック音楽黎明期に活躍した音楽家・指揮者というイメージしかなかったので、これにはびっくり。もう少しウラを取りたいところですが、前述の本は結構な大著で(お値段も相当)おいそれとは手が出ません。そこで、今度は「戦争協力」と「山田耕筰」というキーワードで検索をかけたところ、布施砂丘彦(ふせさくひこ)さんという方が書いた「山田耕筰の歩みと『音樂は軍需品なり』から考える『コロナ禍における音楽は不要不急か』」というブログ記事(2022.2.11)に行き当たりました。

お題からも察せられるように、この記事が書かれた動機は「非常時」における音楽の意味・存在理由を問いかけるもので、山田耕筰の戦時中の発言・行動についてもそのような視点から取り上げられています。

とはいえ、『山田耕筰著作全集』全3巻(岩波書店、2001年)も含め、いくつかの文献に裏付けられた山田耕筰の言行には、驚愕を通り越して呆然とせざるを得ないような記述がこれでもかと続きます。

詳しくは布施氏の記事をご参照頂くとして、そこから特に酷いと思われる言動を紹介した記事(孫引きになる部分も含めて)引用してみましょう。
(山田が国威発揚のために数多くの作曲をしたことを紹介した文章に続いて)
 山田の活動は作曲にとどまらない。『山田耕筰著作全集』(全3巻、岩波書店、2001年)に掲載された論考のタイトルをいくつか見ていくだけでなかなかなものだ。「國民音樂の樹立」「音樂家の臨戦体制——音學挺身隊について」「大東亞戦爭と音樂家の覺悟」「大東亞音樂興隆に」「大東亞音樂建設の第一歩」「決戰下樂壇の責任」「猶太人(引用者註:ユダヤ人のこと)に酷似する支那民衆の性格」「米英撃滅の爲の音樂文化戰線の確立強化」「音樂の總てを戰ひに捧げん」「國民音樂創造の責務」「敵米國の音樂觀と我等の進撃」……。
 特に敵国アメリカに対しての過激な思想、というより「ヤバい発言」を引用する。1944年に書かれた「敵米國の音樂觀と我等の進撃」のなかで、山田はジャズやユダヤ人を批判(というよりもはや誹謗中傷である)したあと、このように続ける。

いや、アメリカそのものが實はコクテール(引用者註:カクテルのこと)の國なのだ。そこには純粋さなどといふものは求めやうもなく、ただあくどい刺戟あるのみなのだ。文化人は刺戟を頭に求め、野蠻人はその刺戟を肉體に求める。ここにアメリカ音樂の貧困さがある、といふより、ここにアメリカ人の救ひ難い貧困さが暴露されてゐるのだ。よし、摩天樓が幾百となく林立しようと、世界的博物館が各都市に存在しようと、結局アメリカは⽂明といふ衣裳にその⾝を蔽うた野獣そのものの住む未開のジャングルなのだ。
(『山田耕筰著作全集』Ⅱ.363「敵米國の音樂觀と我等の進撃」より)

 さらに山田は《米英撃滅の歌》という刺激的なタイトルの軍歌を作曲した。これは松竹映画『米英撃滅の歌』の挿入歌であり、作詞はイサム・ノグチの父である詩人の野口米次郎だ。『世界軍歌全集』や『日本の軍歌』の著者である辻田真佐憲氏のホームページ「西洋軍歌蒐集館」では「間違いなく、日本軍歌中最凶最悪の歌詞を持つ曲。」として紹介されている。(以下略)
これらの記事を眺めると、山田耕筰が何の疑問も抱かずに戦争協力にのめり込んでいたように見えますが、当時の言論状況(軍部による厳しい統制下にあった)を考えれば、単に保身のためかもしれず、これだけからは判断できません。布施さんも同じコメントをしています。が、ブログの記事ではこれ以下でこのような山田の言行を擁護する畑中良輔の発言を紹介し、「我が国には、非常時に掲げられた『音楽は軍需品なり』というスローガンが音楽家の地位を守った歴史があるのだ」と語ります。(亭主には「コロナ禍を戦時中と同じ非常時と見立て、その文脈で山田の言行を改めて擁護するもの」と読めました。)

この部分を読みながら、亭主はナチス支配下のドイツでのフルトベングラーの言行について同様のことが語られるのを某テレビ番組で見たことを思い出しました。(フルトベングラーも後に、楽団員を守るためにナチスに協力した、と語っていたようです。)

さて、戦後すぐに山田耕筰は戦時中の言行を山根銀二から批判されますが(東京新聞紙上の山田ー山根論争)、それに対して山田は、戦時中、国家の要望に従ってなした愛国的行動が戦争犯罪になるなら「日本国民は挙げて戦争犯罪者として拘禁されなければなりません」と反論したとのこと。

しかしながら、これは敗戦直後に当時の首相だった東久邇稔彦が説いた「一億総懺悔」というスローガンと全く同じ体のもので、(戦争の是非はともかく)敗戦という結果責任の所在を曖昧にする論法で、責任逃れの匂いがします。(この反論を見る限り、山田はやはり本心からの戦争協力者だったかも?)

山田と対照的なのが、やはり戦前のオピニオンリーダーとして戦争に協力した徳富蘇峰の身の処し方です。彼は戦後にGHQから戦犯容疑をかけられ、言論人として道義的責任を取るとして文化勲章を返上したとのこと。

あれから78年が過ぎましたが、まだ宿題が残っている感じです。









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Last updated  August 14, 2023 10:41:49 PM
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